ブログ名、捨てました

興味ある事が多すぎて書きたいことが定まらないので、ブログ名は捨てました

お出掛け 愛知県 渥美半島

神出鬼没、まっさんです。

11月某日、ソーシャルディスタンスを保てるバイクツーリングへ行って参りました。
春に予定していたツーリングがコロナウイルスの影響により、伸びに伸び、ようやく実行出来ました。

年齢は30代〜70代、バイクの排気量も125cc〜1000ccとバラバラです。

今回、「複数台で行くの初めて」と言う方もいましたので、片道2〜3時間で行ける渥美半島を横断する事にしました。

 

朝8時に集結。

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道中は何事もなく、割愛します。

無事に渥美半島の先、伊良湖岬へ到着。

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伊良湖岬には太平洋の荒波をうけて湾曲する、白く美しい砂浜が「恋路ヶ浜」があります。

「椰子の実」という島崎藤村の抒情詩の舞台となったことでも有名です。恋人達のプロポーズにふさわしい場所として、伊良湖岬灯台とともに「恋人の聖地」にも認定されています。

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と、書かれていましたが、

わたしが見る限り、プロポーズしているカップルは、いませんでした。

 

恋路が浜の駐車場には、お食事処が数件並んでいます。

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三河湾、伊勢湾の魚介類が食べられます。

ここを目的にドライブやツーリングで訪れる人も多いです。

今回のツーリングもまさにそうです。

 

 

萬八屋

いくつかあるお店での中で「萬八屋」さんへ伺いました。

頂いたのはこちら、

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焼き大アサリ定食 1400円

 

伊良湖の名産と言えば、「大アサリ」

実は大アサリ、正式名称はウチムラサキと言い、アサリとは別の種類です。

わたしは、このウチムラサキが好きでたまらんのです。

デザートには渥美半島にある田原市の名産「メロン」が付いてきます。

manpachiya.com

そして、食後にお店を出るとき、割り箸に刺したパイナップルをくれます。

おそらくパイナップルのサービスは、恋路が浜駐車場、全店舗共通だと思います。 

 

この他にも、夏は「岩牡蠣」冬は「フグ」 と季節によって食べれる物も変わります。

「タコ」や「タイラギ(貝)」も美味しいですよ。

見かけたら迷わずかぶりつきましょう。

 

 

 

駐車場では、皆 自慢の愛車を見せびらかしている。

特に目立ったのが、側車付きのトライク。

勝手に撮影しちゃいました。

ハーレーやゴールドウイングがベースだと思います。
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後ろから見ると 、もはや自動車です。

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これはかなりゴージャス 。後ろのロータス軍団が霞んで見えます。

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ここまでゴツいとオーナーもゴツいのか?

残念ながらオーナーを見る事なく、帰路に着きました。

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たぶんですけど、、、ここまでイジると1000万 くらい?

これ雨降ったら、どうすんの?最悪ですよ。メッキは錆びるし、ムートンは水吸うし。と、嫌味妬みを心の中で言ってみる。

このトライク軍団、いずれも岐阜県ナンバーでした。

岐阜県はお金持ちが多いのか!?

とにかく、同じHONDAなのに、わたしがみすぼらしく見えます↓ 

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これでも半年かけてコツコツと綺麗にしたんですよ!(T_T)

 

特に問題なく無事に帰宅できたので帰りも割愛します。

以上、なぜか椰子の木がチョコチョコ植えてある渥美半島でした。 

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南国の雰囲気を出したいのか?



 

お出掛け 三重県伊勢市

神出鬼没、マッサンデス。

三重県伊勢市を訪れました。

お目当ては、もちろん「伊勢神宮」

コロナ禍ため、混雑を避け、平日にやって参りました。

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現在、午前10時です。

それ程の混雑は見られません。

コロナ禍以前は外国人の団体も多く、自由に歩く事も出来ませんでした。

現在はどの様な状態なのでしょうか?

 

 

伊勢神宮

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伊勢神宮は、正式には「神宮」といいます。
神宮には、皇室の御祖先の神と仰ぎ、私たち国民の大御祖神おおみおやがみとして崇敬を集める天照大御神あまてらすおおみかみをお祀りする内宮ないくう皇大神宮こうたいじんぐう)と、衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神とようけのおおみかみをお祀りする外宮げくう豊受大神宮とようけだいじんぐう)を始め、14所の別宮べつぐう、43所の摂社せっしゃ、24所の末社まっしゃ、42所の所管社しょかんしゃがあります。これら125の宮社全てをふくめて神宮といいます。
伊勢神宮は神社本庁の本宗(ほんそう。全ての神社の上に立つ神社)であります。

 

外宮は伊勢市の中心部、高倉山を背にして鎮まります豊受大神宮とようけだいじんぐうは、豊受大御神とようけのおおみかみをお祀りしています。豊受大御神は内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神みけつかみであり、衣食住、産業の守り神としても崇敬されています。

 

一方の内宮は、およそ2000年前、垂仁天皇の御代から五十鈴川のほとりに鎮まります皇大神宮こうたいじんぐうは皇室の御祖先であり、我々国民から総氏神のように崇められる天照大御神あまてらすおおみかみをお祀りしています。(公式サイトより)


内宮の入口である宇治橋を渡ると、神聖な地へ足を踏み入れた気分になります。

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内宮は何度も行っていますが、外宮は一度も行っていないと気づきました。

本来は外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている様ですが、意外と離れているため、今回もまた訪れたのは内宮だけとなりました。

 

 今までならこの辺りは行列でしたね。

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手水舎の柄杓は感染防止のため置いてありません。

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御手洗場(みたらしば)

f:id:hoso-11-bishamonten:20201106225220j:plain御手洗場のある五十鈴川は、「御裳濯川みもすそがわ」とも呼ばれ、倭姫命やまとひめのみことが御裳のすそを濯いだことから名付けられたと伝えらえます。神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが、合流して五十鈴川となります。

御手洗場の流れは清らかさの象徴。内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、元禄5年(1692)徳川綱吉の生母、けい昌院しょういんが寄進したといわれる石畳を敷き詰めた御手洗場が見え、ここでは手水舎と同じようにお清めができます。

沢山の修学旅行生達がお清めしております。

この他にもガイドさんと歩いている団体は、ほとんど修学旅行生でした。

 

9割以上が日本人、外国人観光客がいないのと、境内はここまで閑散としています。

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内宮神楽殿です。

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出雲大社の締め縄を見てしまうと、少し寂しい気がします。

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こちら正宮です。 

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撮影はNGで、カメラを構えると注意されます。

階段下からならば、撮影OK。 

大量の願い事をして、次のスポットへ向かいます。

 

 

 おかげ横丁 

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おかげ横丁は伊勢神宮へのおかげ参りブームが起こった江戸から明治期の伊勢路の建築物を移築などで再現、三重県や伊勢地方の魅力を凝縮しています。老舗の味から名産品、歴史や風習、人情まで一度に体感でき、食べ歩きやショッピングも充実している鳥居前町です。

しかし、実は鳥居前町全体を「おはらい町」と言い、中心の一部を「おかげ横丁」と言うそうです。

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おかげ横丁は人がごった返してましたが、現在はとても歩きやすい。

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食べ歩きできやすいですな。

こちら醤油のお店ですが、珍しい醤油のソフトクリームがあります。

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普通のソフトクリームより、若干茶色い。

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食べてみると、全然醤油の味はしませんでした。


この他、ミカンソフト、ぬれ煎餅、みたらし団子などなど、平和な食べ歩きが続きます。 

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しかし、この平和も長くは続きませんでした。

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お昼を過ぎた辺りから徐々に人が増え始め、ソーシャルディスタンスが難しくなってきます。

まだまだ、食べ足りないですが、お土産屋も購入できたので、帰路に就く事にしました。

このご時世なので深追いは厳禁です。

 

 

 

最後に

コロナ禍でも人気のお陰参り(伊勢参り)でした。

お蔭参りは、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣。お蔭詣でとも。数百万人規模のものが、およそ60年周期に3回起こった。お伊勢参りで抜け参りともいう。 お蔭参りの最大の特徴として、奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣したことにある。これが、お蔭参りが抜け参りとも呼ばれるゆえんだそうです。

 

新しい生活様式でお陰参りのポイントは、

・平日

・午前中

・マスク着用

これらを実行出来れば感染リスクは軽減されると思います。

ソーシャルディスタンスを保てないと感じたら、距離を置く事が大事でしょう。

 

特に早朝がオススメです。

伊勢神宮は朝5時から参拝出来るそうです。

赤福本店も5時から営業しているそうです。

 

やはり旅行は楽しいです。

我々以外にも笑顔で観光している家族を沢山見かけました。

数年後には、インフルエンザ同様に新型コロナウイルスはあって当然の存在となっているでしょう。

恐れているだけではなく、自分なりの上手な付き合い方を確率していこうと思います。

 

お出掛け 三重県 鳥羽城

神出鬼没、まっさんです。

ごうとぅトラベルを利用して、三重県鳥羽市に行って参りました。 

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家族の一瞬の隙をつき、趣味である城巡りをしてきました。

鳥羽水族館より線路を挟んだ向かい側にある「鳥羽城」

はたしてどんなお城なのか? 

 

 

鳥羽城 

志摩国 答志郡 鳥羽(現在の 三重県 鳥羽市 鳥羽三丁目 )にあった 日本の城です。

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九鬼嘉隆が文禄3年(1569)に築城。以後九鬼水軍の本拠地となっていました。 大手門が海側に突出して作られるという全国でも珍しい形をしており、この大手波戸水門が出入り口となっていました。

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現在は、鳥羽水族館がある辺りが、大手門水門だったようです。

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真っ直ぐ進もうとすると、段々に石垣が積んでおり、まるで巨人用の階段みたいです。

ちっさいオッサンは手すり付きの階段で横断して登って行きます。

 

三の丸

大手門を過ぎて最初に辿り着くのが三の丸跡です。

(rio-masaki様、ご指摘ありがとうございます。三の丸の間違いです。)

当時の建造物は何も残っていませんが、若者のグループ2〜3組います。

そして、建造物の変わりに横文字でT・O・B・A 「♡TOBA」の文字。

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どうやらSNS映えを狙いに来ているようです。

楽しそうに撮影しています。

少しも羨ましいとは思いません(強がり)

「私は城跡を探索しているのだ」と自分に言い聞かせ先へ進みます。

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三の丸から本丸へ向かう通路の左側を見ると、先程の段々の石垣がありました。

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一段、1メートルほどありますかね。

後ろから「押すなよっ押すなよっ!」

 

続いて本丸へ向かます。

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本丸の石垣は、石を加工しない、野面積み。

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野面積みは戦国時代の初期に見られる技法です。

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この鳥羽城の石垣も当時の物と考えられていますが、はっきりと分かっていません。形も大きさもバラバラ、それを積んだものが何百年も残っているなんて凄いですよね。

 

 

本丸

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ご覧の通り、本丸跡にも何も残っておりません。

3層の天守閣があったそうです。

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お城の心臓部、本丸御殿跡。

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発掘調査が行われたのが平成23年。

ある理由があって、意外と最近に行われたのです。

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本丸で唯一残っているのが井戸の跡。

 

本丸から和歌山、奈良方面を望む。

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山だらけです。逆に考えると山が防御壁となり、お城を建てる場所としては最高です。

 

本丸から伊勢湾を望む。

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最初にも言いましたが、お城の入り口(大手門)が船着き場となっていて、船で出入りをする訳です。

 

二の丸

本丸を三の丸と挟む形であるのが二の丸です。

二の丸は何かの建物が残っていました。

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完全に廃墟です。

とてもじゃないですが、夜一人で来る事は出来ません。

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実はここ、旧鳥羽小学校でした。

先ほど、ある理由があると言いましたが、1929年〜2008年まで校舎として使用されていました。

このため、発掘調査がされなかったのですね。

 

校舎の中から覗かれている気がします。

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校舎は二の丸跡で、先ほどの本丸跡がグランドだったそうです。

戦のための城が、子供達が学ぶ場へ。

築城した九鬼嘉隆も、まさかこんな使われ方をするとは夢にも思っていなかった事でしょう。

この鳥羽城の様に、明治に入り不要になったお城が、学校や公園などの公共施設になっている事が多いです。

 

 

 

最後に

段々石垣をもう一度、じっくり見てみます。

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近くで見ると、斜めになっていて、石垣を登りにくくなっているのが良く分かります。

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登りにくいうえに、上からは恰好の標的、 登っている間はコテンパンに攻撃されます。

入り口は船でしか入れない、裏は山に囲まれている。

本当に段々石垣が九鬼嘉隆の時代の物ならば、良く考えられて造られています。

 

さて、所で「九鬼嘉隆」とは、何をした人なのか、ご存知ですか?

城を見る限り、海に関連してそうですね。

まず、九鬼氏の経歴を見てみます。

九鬼氏は伊勢国司の北畠氏に属し「志摩海賊七人衆」のひとりに数えられていた。
1551年に父・九鬼定隆が死去すると、家督は兄の九鬼浄隆が継いだ。
この頃の鳥羽・志摩には多くの地頭いた。
橘宗忠(たちばなむねただ)の鳥羽衆を筆頭に、小浜民部の小浜衆、荒島左門の安楽島衆(あらしま)、浦豊後の浦衆、千賀志摩の千賀衆、国府大膳(こうだいぜん)の国府衆、甲賀雅楽(こうかうた)の甲賀衆、三浦新助の安乗衆(あのり)、青山豊前の志摩・和具衆、越賀隼人の越賀衆、的矢美作の的矢衆。そして、九鬼浄隆の田城衆、九鬼嘉隆の波切衆があり、志摩地頭13人衆と呼ぶ。兵力は九鬼氏が断然多く、他の地頭達は九鬼氏の勢力拡大を危惧していた。
九鬼嘉隆はこのようにの波切城主として兄・九鬼浄隆を助けていたが、九鬼嘉隆が19歳のとき、伊勢から追われる事になる。
1560年、以前から不仲だった志摩海賊衆仲間の掟に背いたとして、志摩の地頭12人衆が連合軍を起こし、伊勢国司・北畠具教の援助を受けて田城城を攻めた。
これに対して九鬼浄隆と九鬼嘉隆の2人は田城城に篭城するが、篭城中に九鬼浄隆が病死(戦死とも?)してしまう。
九鬼浄隆の子・九鬼澄隆が九鬼氏本家を相続したがまだ幼かったようで、九鬼嘉隆が補佐した。しかし、幼い当主に不安を持ち、戦意が上がらない九鬼勢は惨敗。
九鬼嘉隆と九鬼澄隆ら残党は鳥羽の朝熊山へ逃亡した。

九鬼氏は代々志摩の海賊だったのです。

この後、九鬼嘉隆の代で織田信長に仕える事になります。

そしてここから九鬼嘉隆は織田水軍の大将として大活躍します。

日本初の鉄甲船を製作、毛利の村上水軍との激突、秀吉の時代には、朝鮮出兵の際、水軍の総大将として活躍しました。

この様に九鬼嘉隆は、大河ドラマ主役級の活躍した武将なのです。

しかし、意外と

最後に九鬼嘉隆の名前の読み方と共にお別れしたいと思います。

 

 

九鬼嘉隆→「くきよしたか」

 

お出掛け 三重県鳥羽市

2019年に新型コロナウイルスが初めて確認されてから、もう少しで1年が過ぎようとしています。

新しい生活様式も少しずつ浸透してきました。

去年の今頃は、まさかこの先、顔を隠して生活する様になるとは思ってもいませんでした。

皆、下着の様にマスクを付けています。

 

この事から神出鬼没のまっさんも「沈黙」を守り続けていました。

しかし、私はスティーブン・セガールではありません。

沈黙シリーズを続ける必要がありません。

 

新しい観光のあり方を模索しながら、GO TO キャンペーンを利用して旅行へ行く事にしました。

 

 

目的地は三重県鳥羽市

今回の旅は自分よりも奥さんと子供の熱い要望でした。

旅行好きファミリーがまともに1年近く出掛けていなかったのですから、当然と言えば当然ですね。

逆に自分は仕事で県外出る事が多いので、それほど「旅行に行きたい」とは思っていませんでした。

 

奥さんの希望は片道2〜3時間で、最初は「伊豆」が候補に上がっていました。

何故、伊豆なのか?その理由が、

「伊勢海老が食べたい」

普段、高くて食べれない物を、GOTOキャンペーンを使い、食べてしまう魂胆です。

しかし、伊豆も南の方だと三重県へ行っても、移動時間が大して変わらない。

そういう事で、どうせなら伊勢海老の本場、三重県に行く事に決めました。

(千葉県も三重県と並び、伊勢海老の産地だそうです)

日程は、少しでも混雑を避けるため、土日ではなく、日月の一泊二日にしました。

 

静岡県側から鳥羽へ向かう場合、高速で利用する方法と、伊勢湾フェリーを利用すり方法があります。しかしフェリーに車を乗せて、鳥羽へ向かうより、高速道路で向かった方が安いのです。フェリーは車両+人数分の運賃がかかりますからね。

しかし、少しでも交通費を安く済ませたい。

そこで、車は伊良湖港へ置いて、人間だけで鳥羽へ向かう事にしました。 

これだけで交通費が5000円以上安くなります。

ただ、天候が良好なのが大前提で、台風では欠航してしまいます。

 

当日は運良く快晴で、無事に愛知県の渥美半島、伊良湖港へ到着しました。

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ところが、伊良湖港のターミナルがコロナウイルスの影響で封鎖。

中に入ってお土産などを買う事が出来ません。

乗船チケットは外で購入して、出発時間まで車の中で待機します。

船舶も通常より本数を減らして運航中です。 

 

いざ、鳥羽へ!

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船内もまだらで埋まっているのは窓側の席だけです。

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55分の船旅でしたが、瞑想していたら、あっと言う間に到着。

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三重県は日帰り圏内なので、基本的に日帰りで着ます。

宿泊で来るのは久し振りですね。 

 

到着してまず始めに、腹ごしらえです。

徒歩で食事処を探します。

 

 

鳥羽一番街

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鳥羽フェリー乗り場から、歩いて10分ほどで鳥羽駅があります。

比較的、駅前も控え目な鳥羽ですが、唯一のお店がこの「鳥羽一番街」です。

3階建てで、2階の渡り廊下から駅まで直行できます。

店内にはお土産屋や飲食店が並び、10時から食事ができます。

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 日曜の午前中ですが、人がまばらです。

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まばらな中でも賑わっていたのが、こちらの「秀丸」

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お客さんが多い=美味い

ここに決めました。

 

たこ飯定食 1580円

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伊勢湾は意外とたこが美味いのです。

もちろん、このたこ飯も美味しかったです。

この日は、この後、運転する事もないのでハイボール頂きます。

 

定食は1000〜3000円で、当たり前ですが値段が上がるほど豪華です。

食べ終わった頃には、他の店舗も先程より賑わっていました。

少し安心して、観光へ向かいます。

 

お出掛け 静岡県浜松市 高根城跡

皆さん、ごきげんいかがでしょう。

まっさんです。

コロナ渦で今はマイクロツーリズムの時代です。

近場のお出掛けと言う事で、これまで静岡の東部、中部地方と訪れてきました。

www.masu-hoi.com

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今回は静岡県西部地方の政令指定都市、浜松市です。

 

浜松市 

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画像の赤と緑が浜松市。

日本一の面積を誇る市町村が岐阜県高山市、そして2番目がこの浜松市なのです。

平成の大合併で、南は太平洋、北は長野県の県境まで至る巨大都市となりました。

その中で地図の緑の部分、天竜区の旧水窪町に城跡があると言う事なのでバイクで行って参りました。

 

 

旧水窪(みさくぼ)町

浜松市の最北部に位置する「水窪(みさくぼ)」

大雑把に地図で見てもらうとこの様な位置です⇩

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地図上だと分かりませんが、ガッツリ山間部です。

なので、、

水窪には、コンビニなんてハイカラな物はございません

水窪には、道の駅なんてお洒落な施設はございません

水窪には、観光客を呼び込めるスポットなんてございません

 

しかし、鉄道は走っております。

JR飯田線です。

この飯田線は 愛知県豊橋市の豊橋駅と長野県上伊那郡辰野町の辰野駅を結んでいます。

つまり、鉄道で浜松駅にはいけません

水窪は浜松市なのに、浜松駅へ行くには、一度、飯田線で愛知県の豊橋駅へ行ってJR東海に乗り換えるしかないのです。

さらに水窪は静岡県でも数少ない「豪雪地帯」に指定されています。 

 

そんな水窪へ浜松中心部から国道152号を使い北上します。

が、同じ天竜区の旧龍山村で唯一の国道が寸断されていました。

2020年、梅雨の豪雨で崩落の恐れがある為、10キロ以上が通行止め。

迂回路の県道は道幅が狭く、すれ違い困難な為、片側交互通行でした。

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10キロ以上の道のりを片側交互通行なので、長いと40分以上待つ事になります。

この猛暑の中、待ちすぎて、皆さん車から出ていました。

 

狭い県道も無事通過し無事に、水窪へ。

水窪の市街地へ来ると、お城への地味な案内板が地味に視界に入ります。

 

それを目印に、こちらも地味に城跡を目指します。

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地味に到着です。

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道の先には、地味な駐車場?

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これは分かりにくい。バイクだったので入口の目の前に停めてしまいました。

後に分かりましたが、裏の駐車場だそうです。

 

高根城公園の全体図です。

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地味にマムシが出るようです。 

 

山の沸き水か?

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説明はなし。

とりあえず、汗ばむ顔を洗いました。

 

スッキリした所で、山城跡へ向かいます。

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夏の山はハチ、アブが「ブンブーン」言いながら目の前を飛んでいきます。

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普段見かけない虫もいます。

何が起こるか分かりません!その辺りの心構えは万全に。

 

徐々に道が道ではなくなってきました。

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忍者になった気分です。

歩いて10分程度でしょうか。

どうやら到着したようです。

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このお城、全国では珍しく、天守閣を持たない山城の復元をしております。

これまでも様々な山城跡へ行ってきましたが、説明文と復元図では、イメージが掴みにくい所があります。

復元とは言えリアルな山城を体験できそうですね。 

 

向こう側に何やら柵が見えます。 

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ここまで、人と遭遇していません。もしかして貸し切りだろうか。

それとも柵に身を潜め、こちらを狙っているのか?

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とりあえず柵の方へ行きましょう。

ついに山城の全貌が見えてきます。

 

 

高根城

高根城が築城されたのは1414年とされます。

お恥ずかしながら、このお城の存在を知りませんでした。

 

時をさかのぼる事1560年、桶狭間で今川義元が織田信長に討たれます。

これにより、甲信越、東海地方のパワーバランスが完全に崩れました。

上杉謙信の越後へ攻めあぐねていた武田信玄は、南の今川義元が討たれた事により、方向転換します。

日本海ではなく、太平洋側から西へ侵攻を開始します。

信濃から秋葉街道で兵越峠(名前の由来が武田軍の峠越え)を越え、このお城へやってきたのです。

 

このため、高根城は武田信玄、勝頼が手を加えたお城なのです。

山間部で開発されなかった為か、当時の曲輪など比較的良い状態で残っていたようです。

それを整備して建物を復元したと言うことですね。

簡単に説明していきます。

 

堀切

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堀切は山の尾根沿いに人工的に加工した溝です。

普段は橋を掛けておき、敵に攻められたら橋を落としてしまいます。

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二重堀切

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堀切も二重にする事で、攻城をさらに困難にする事ができます。

もちろん、左側の木製階段は当時にはありません。 

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虎口 

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虎口と難しく言っていますが、簡単に言えば出入り口です。

現在ある橋は復元ではなく、別の場所だったようです。

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攻撃されたのは時はここに敵が押し寄せる訳ですね。

この城門から本曲輪へ突入します。

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本曲輪

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本曲輪には沢山の狭間があります。

先程の虎口に押し寄せた敵に集中攻撃できます。

ここで初めて観光客と遭遇します。

お互いビックリ。

 

主殿があったと思われる場所、現在は管理施設となっています。

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井楼櫓

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簡単に言えば物見櫓です。

 

先へ進むと城門。

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どうやらこちらが大手門(正面玄関)で先程が搦手門(裏口)だったようです。

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城からの景色。

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水窪の集落が一望できます。

当時の雰囲気を味わう事ができ満足しましたね。

 

 

 

水窪駅

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せっかくなので浜松市なのに浜松駅へたどり着けない、水窪駅へ行ってみました。

なんと!こちらも令和2年梅雨の豪雨被害で飯田方面は運休です。

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主要幹線道路、鉄道が寸断と、被害は想像以上に深刻です。

駅から階段があり、川へ降りる事ができました。

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水が綺麗で透き通っています。

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同じ天竜区でも、天龍、二俣辺りは、川遊びの人達でごった返していますが、水窪は寂しい限りです。
ただでさえ観光スポットがない水窪ですが、国道と鉄道が寸断されては人も来ません。

 

 

最後に 

陸の孤島、水窪。

唯一の観光スポットとなり得る「高根城」でした。

知名度も全くありませんが、当時の山城を体験でき、とても面白いと思います。

観光客は、自分を含め3組だけでした。

もっと全国にアピールするべきでしょう。

武田軍の遠江侵攻はここから、二俣城を落とし、三方ヶ原の戦いへ突入したのですね。

 

この際、水窪は街並みを城下町風にして、高根城を宿泊できる施設にしてしまえば、もっと面白いのではないでしょうか?

宿泊者は、1日武田軍体験、衣類も食事も当時の物を体験します。

サプライズで徳川軍が攻めてくる。

 

目指すは全国初、泊まれる山城。

 

お出掛け 静岡県 河津町

神出鬼没、まっさんです。

伊豆半島へやって参りました。

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地味な世界遺産「韮山反射炉」とセットで江川邸の共通券を購入しました。

これから車で5分程度、案内板を目印に同じく伊豆の国市の江川邸へ向かいます。

 

 

江川邸 

江川家は江戸時代、徳川家の代官を世襲して努めた。

中でも江川英龍が文化人、開明思想家、革新的技術者としても有名。 

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こちらの施設も無料の観光案内をしてくれるのでそちらをオススメします。

 

立派な表門をくぐります。

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きっと子供の頃だったら「ボロい門だなー」としか思えなかったでしょう。

 

主屋です。

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きっと子供の頃だったら「きったない家だなー」くらいにしか思えなかったでしょう。

江川英龍の偉業の数々が展示しております。

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台所ですかね。f:id:hoso-11-bishamonten:20200725190824j:plain

 

身分の高い人を運んだと思われる、「輿」があった。

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用途不明の木馬。

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パン祖の碑

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英龍は反射炉や台場だけではなく、パン作りにも力を注いだそうです。

こんな物が売っていました。
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当時のパンを再現した物です。

カッチカチでパンよりも乾パンに近いです。

あまりの硬さで、ハンマーで砕いて頂きました。

味は乾パンより美味しく、パンに近い味がしました。

 

伊豆の国市はここまで、次は河津町を目指します。

 

 

天城越え

f:id:hoso-11-bishamonten:20200726205428j:image河津町を目指して、人生初めての天城越え

現在はトンネルがある為、あっさり越えてしまいます。

ガチの天城越えは、ハイキングコースとなっているそうです。

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頭の中で「天城越え」を再生しながら、河津町をめざし、国道414号を南下します。

それにしても、「天城越え」をリリースした当時、石川さゆりは28歳と言うから驚きです。

貫禄ありすぎです。 

 

 

河津七滝

天城トンネルを抜け国道414号を下っていくと、名物の「ループ橋」

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(イメージ画像)

ここまでくれば、河津町です。

河津町と言えば「河津桜」が有名ですが、メインの観光スポットはこの辺りになります。

伊豆と言えば「浄蓮の滝」が思い浮かびますが、ここ河津町の河津七滝も7つの滝沿いに温泉街が建ち並ぶ観光スポットです。

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しかし、今回の目的は滝や温泉ではなく、「グルメ」です。

旅の醍醐味と言えば、食事もそのうちの一つ。

伊豆の名産を喰らいに来たのです。

 

ワサビと言えば、長野県安曇野市が日本一の産地ですが、実は静岡もワサビの産地で、ワサビソフトなどよく見かけます。

天城山もワサビ畑が沢山ありました。

 

この辺りは「わさび丼」なる物が美味しいと言う事で、遥々やってきたのです。

 

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休みでした

 

有名なお店なのか、お客さんが次々と駐車場に入ってきましたが、皆さんガッカリです。 

 

せっかくなので食事処を探しながらブラリとします。

伊豆には爬虫類の動物園「IZOO」があり有名ですが、ここ河津町には、 

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「KawaZOO」

こちらは何と、蛙専門

今回は行きませんでしたが、次回は子供を連れて来たいです。

 

ブラリ始めてすぐに食事処が見つかりました。
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「一休茶屋」さん

このお店も「わさび丼」を頂けるそうです。

欲張りなわたしは、「わさび丼」と「わさびそば」を注文。

 

まずは「わさびそば」

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そばにわさびが練り込まれているのか?

しかし、あまり辛くはない。

生ワサビをすり下ろして食べるシステムです。

山間部のお蕎麦屋さんは、このシステムが意外と多いです。

生ワサビは、とても辛い。

 

続いて「わさび丼」

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ご飯に大量の鰹節

これにワサビを付けて食するスタイルです。

「わさび丼」と言うより、「鰹節丼」でねぇか?

ワサビの分量間違えるとむせる。

適度なワサビ量が、わりと難しい。

結局、ワサビを半分残す。

でも不味い訳ではないっす。

見た目通りの味。

 

2つともペロリっと頂きました。

 

 

最後に

今回、新しい旅行のスタイルとして友人とバイクで訪れました。

(大昔からこの事をツーリングと言います)

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機械的なトラブルはなく、無事に帰って来れました。

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しかし、友人が東名高速道路で財布を落とすトラブルが発生!

お札が舞っていきました。

奇跡的にお財布とお札を何枚か回収できましたが、危険ですので自分で拾う事はやめましょう。

まずはNEXCOや警察に連絡です。

 

梅雨で降水確率90%の中での強行ツーリング、帰りは土砂降りでした。

 

 

伊豆へ行ってみて分かった事があります。

 

 

ワサビはそんなに沢山食べれない

 

 

昔、お寿司屋さんでアルバイトをしていたのでワサビには自信がありました。

しかし、通用しませんでした。

わたしのワサビレベルは残念ながら初心者レベルでした。

 

お出掛け 静岡県 伊豆の国市 世界遺産「韮山反射炉」

神出鬼没、まっさんです。

コロナウイルスのおかげで県外への移動は自粛中です。

ですが、このままジッとしているのもストレスです。

いよいよアレルギーが出てきました。

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(大きいの2つ目出ました)

 

このままでは全身にアレルギーが出てしまう。

どこか神出鬼没をしなければなりません。

そこで県内でも県外気分が味わえる、伊豆半島へ行くことにしました。

 

 

伊豆の国市

「伊豆の国市」は伊豆半島北部に位置する市です。

伊豆半島の中でも海に面していない位置にあります。

その他にも「伊豆市」「西伊豆町」「東伊豆町」「伊東市」など、紛らわしい市町村がひしめいています。

中でも伊豆の国市には世界遺産があります。

 

韮山反射炉

静岡県伊豆の国市韮山町中字鳴滝入268-1

反射炉の手前の施設で反射炉の歴史を学べます。

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反射炉とは、分かりやすく言うと大砲など鉄の筒を製造する所です。

炉の内部の天井に熱を反射させて高い温度を作り出し、鉄を溶かしたことから、この名前がついたそうです。
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そもそも何故、この様な施設を建造したのか?

 

アヘン戦争をきっかけに日本では列強諸国に対抗するための軍事力強化が大きな課題になった。

この事から幕府も西洋の先進技術を導入が行われる様になった。

すでに薩摩や佐賀など各藩でも導入が行われており、幕府の中では韮山代官で蘭学に通じる、「江川太郎左衛門英龍(坦庵)」 をはじめとする官僚達により、近代的な軍事技術や制度の導入が図られ始めた。

その後、ペリー来航を受け、外国から身を守るため、反射炉が築造された。

品川の台場もこの「江川太郎左衛門英龍」が責任者として築造したそうです。

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この韮山反射炉は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として2015年に正式登録されました。

したがって韮山反射炉単体で世界遺産ではなく、国内8エリア、23資産で構成されているそうです。

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全く知りませんでした。

 

ここから韮山反射炉の構造になります。

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よくわからない

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ハッキリ言って難しいです。

今まで訪れた世界遺産で1番理解できなかったです。

無料のガイドさんがいらっしゃるので任せた方が良いです。 

 

簡単に言えばこの様な大砲を造る工場だった訳です。

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こちらは復元CGになります。

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反射炉はあくまでも工場の一部。

溶かした鉄を型に入れ、固めた後、水車の力を利用して錐で砲身の穴を開けたそうです。

どうせなら、その工程がみたい。

 

 

 

 

韮山反射炉まとめ 

今回訪れた、「韮山反射炉」

世界で唯一、稼働して残っている反射炉だそうです。

しかしハッキリ言って地味な建造物でした。

中を見学できる訳でもなく、駐車場に到着した時点で反射炉が視界に入ってしまいます。

見るだけならお金を払う必要もないのです。

子連れやカップルには、向いていない場所だと思いました。

コアな建造物マニア、武器マニア、幕末マニアならば良さが分かるかもしれません。

国を守る為の兵器製造工場です。 

 

韮山反射炉のデータです。

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江川邸との共通券が700円。

せっかくなので、次回はこちらも訪れてみたいと思います。

 

静岡県民ですが、実は伊豆半島に訪れたのは初めてでした。

勝手ですが、伊豆は「混む」「渋滞」のイメージが強かったです。

実際に行ってみると、イメージ通り渋滞していました。

関東周辺のナンバーがとても多かったです。

出掛けたくてウズウズしているのは分かりますが、せめてマスクなど、最低限のマナーは守って頂きたいです。

 

お出掛け 静岡県 掛川花鳥園

お久しぶりです、まっさんです

コロナウイルスによる外出規制が解除になり、ついに活動再開します

子供もそろそろ限界でしょう

「どこ行きたい?」と聞いたところ

「かちょうえん!」

と返ってきたため、掛川花鳥園へ行く事にしました

花鳥園は名前の通り「花」と「鳥」の「園」です

 

 

比較的自宅から近いため、2019年には3回以上訪れました

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今年は初訪問です

 

 

 

掛川花鳥園

静岡県掛川市南西郷1517にあり、高速掛川ICから約5分
この日、駐車場を見てみると関東〜中京圏のナンバーが目立ちます

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10年前まではマイナーなスポットでしたが、近年テレビなどのメディアに取り上げられる事が多くなり、全国的に有名になりました

そのため、県外からの訪問者が増え、開園1時間で鳥達がお腹一杯で餌を食べない事も多々ありました

そもそも混雑しすぎで、駐車場に停めれなこともあります

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(芸能人のサイン集)

そんな花鳥園もソーシャルディスタンス

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入場前には体温チェックがありました

入口を過ぎるとフクロウ達が眩しそうにこちらを見ています

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フクロウ、スズメフクロウ、ワシミミズクなど様々な種類のフクロウを見る事ができます

 

エサが100円〜販売していて、好きな鳥にエサやりができます

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白鳥、こんなに近い

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上がコクチョウ、左がペリカン

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この鳥はわからない

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こちらはヘビクイワシ

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残念ながらヘビクイワシや猛禽類のエサやりはできません 

 

植物も素晴らしい

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こちらは「ゾウコンニャク」
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開花1日目だけ、強烈な匂いを放つそうです

 

ペンギンのエサやりのみ、引換券が必要です 

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あらかじめ、ぶら下がっている参加券をゲットしておきましょう

しかしこの参加券を、奥さんは落としてしまいました

探してみましたが見つからず、近くにいたスタッフさんに無くした事を伝えました

幸い、番号を覚えていたため、無くてもOK頂きました

スタッフさんの神対応に感謝します

 

無事にエサやりができました
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エサはイワシ?三匹

しかし、最後の一匹をトングから落としてしまい、ペンギンも気付かないまま、虚しく底へ沈んでいきました

親子で落としすぎです

 

 

バードショー

花鳥園の最大の見物バードショー

1日に数回、屋内、屋外、交互で行われいます

バリエーションも豊富で何度見てもあきません

今回は屋外バードショーを見てきました


掛川花鳥園 屋外バードショー

わたしはこのバードショーが大好きです

普段見る事ができない、鳥の生態や動きを間近で見る事ができるからです

今回は、コンドルとヘビクイワシですが、タカなんかは遠くの山から飛んできます

花鳥園へ訪れた際は、ぜひバードショーをご覧下さい

 

 

お出掛け 兵庫県 伊丹城

神出鬼没まっさんです

仕事で兵庫県へ行って参りました

非常事態宣言解除後、初の県外

静岡県西部から兵庫県伊丹市まで片道約300Km

遊びではないので日帰りです

とにかく高速道路を突き進みます

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伊丹市は大阪との県境で、吹田SAまでくれば、あと少しです

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少しだけで時間が空いたので、伊丹市で観光をする事にしました

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有岡(伊丹)城

JR福知山線、伊丹駅の周辺を検索してみると都合の良い事に「城跡」がありました

さらに近くにイオンモールもあります

まずはお城目指します

有岡城と言うお城で、駅から徒歩50メートル

目の前です

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平日の早朝、攻城しているのは、私一人です

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あまり聞いた事のないお城でしたが「荒木村重」が城主だったようです

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公式サイトより
有岡城跡は,猪名川の西岸,伊丹段丘(だんきゅう)東縁部の一角に位置します。もとは伊丹氏が南北朝時代から戦国時代にかけて伊丹城を築いていたところです。
天正2年(1574年)11月,織田信長の武将荒木村重は,伊丹氏にかわって伊丹城に入城しました。そして城の名を有岡城と改めて,大改造をおこないました。城だけでなく,侍町と町屋地区をも堀と土塁で囲んだ惣構(そうがまえ)の城としての価値を認められ,昭和54年12月に国の史跡に指定されました。

 城の全貌などの説明はありません

 

こちらも「礎石」と書いてあるだけで謎だらけ

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続いて「石垣」です
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恐らく、墓石ではないか?
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とにかく説明がない

 

右側が本丸土塁跡でしょうか?

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こちらも説明がない

有岡城跡は以上です

 

とにかく情報が少ないので、このお城は上級者向けでしょう

お城に興味がない人は、「何ここ?」状態になる事間違えない

お腹が空いたので、イオンで何か食べる事にします

 

 

 イオンモール伊丹 

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地上5階地下1階建ての建物内に高い天井のある広い通路がある開放的な空間となっており、開業時の売り場面積約52,000mであった

トイザらスや無印良品、FLAXUS の大型店を中心に143店が出店していたそうです

とにかく、駅と城跡、イオンがギュと凝縮された感じです

徒歩圏内と言うより、徒歩でしか行けません

 

イオンに駆け込み、最初に眼に入ったのは「たこ焼き」でした

大阪と言えば「たこ焼き」です

しかし、ここは兵庫県です

もはや、頭の中は「たこ焼き」の事しかありませんでした

静岡県のイオンモールは、「銀だこ」が定番です 

 

こちらのイオンモールでは「笑たこ」でした

大阪でたこ焼きの食べ比べをした事ありますが、「笑たこ」さんは初めて食べます

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関西では定番なのでしょうか?

 

食べた感じですが…

 

外は

トロトロ〜 

中も

トロトロ〜

でした

 

食べ慣れている「銀だこ」は、外はカリカリ、中がトロトロ〜

美味しいですが…

今回はわたし的に食べ慣れている「銀だこ」に軍配が上がりました

 

 

 

最後に

今回は仕事でしたが久しぶりの県外でした

やはり、出掛けるのは楽しいですね

渋滞はありませんが、高速道路の交通量は増えていました

徐々にコロナ以前に戻って行く事でしょう

 

運送会社によっては、高速道路は使用禁止の所もあるそうです

今の会社は、「県西部ー県中部」「浜松ー名古屋」間の移動でも高速道路が使えるので、その辺りは恵まれているのでしょう

 

残念ながらプライベートで出掛けるのはもう少し先でしょうか

兵庫県も淡路島や神戸に行った事がないので、1度行ってみたいと思っています

帰りに大津SAで大阪の有名な肉マン「HORAI551」をお土産に買って帰りました

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今回行った兵庫県ですが現在「カメムシ」が大発生しているみたいですね

匂いだけではなく果実がヤラれるそうです

news.yahoo.co.jp

 

 

 

コロナウイルスを「ガス」に例えてみる

妄想放浪中にまっさんですが、今回は箸休め

芸能人に二人目のコロナウイルス犠牲者が出ました

大和田漠さんの妻でもあり、女優の「岡江久美子」さんが亡くなりました

初期の乳癌治療を行っていたと言う事でしたが、驚きでした

ご冥福をお祈りします

 

このコロナウイルスは、単体ならそれほどの脅威はないが、持病持ちや治療中の場合に感染すると、豹変するイメージがある

つまり、病気の人がコロナウイルスに感染すると、元々の病気に合わさって倍増する、化学反応みたいな事が起きるように感じる

化学に「可燃性」「支燃性(助燃性)」と言う言葉があります

 

 

可燃性

通常環境において着火した場合に燃焼が継続する物体の呼称である。純物質に対し

は可燃性物質とも呼ぶ。また物体が継続的に燃焼する性質を可燃性と呼ぶ

ちなみに可燃性ガスには、

水素、プロパン、メタン、ブタン、一酸化炭素、アンモニアなど

まだまだ沢山あります

これを癌や糖尿病など、持病にあてはめるわけです

「可病性」としましょう

 

支燃性(助燃性)

物質が燃焼するのを助ける性質、すなわち酸化力のある性質をいう

支燃性(しねんせい)または酸化性(さんかせい)とも呼ばれる

簡単に言うと、「燃えるのを支える」と言う事ですね

一般に、空気よりも燃焼を促進する物質をいうそうです

酸素を筆頭に塩素、フッ素、亜酸化窒素、酸化窒素、二酸化窒素

コロナウイルスを支燃性ガスにあてはめます

「支病性」とでも言いましょうか

 

 

コロナウイルスは病気の症状の悪化を助ける

「火に油を注ぐ」と言う、ことわざがありますが、燃えている火に油を入れると火力が増します

燃えている可燃性ガスに支燃ガスを合わせると爆発を起こしたりします

まさにコロナウイルスも同じ性質を持っていると思いました

同じ空間に、いてはいけない

 

 

素人的結論

ガスを運搬する際、可燃性と支燃性はできるだけ混載しないようにし、仕方のない場合は近づけないようにしています

今回、コロナウイルスで亡くなった、志村さんや岡江さんは二人とも治療していたと言う事なので病院で感染した可能性が高い

これはコロナウイルス専用の病院がないと厳しいのではないか

都道府県によってはすでに検討している所もあるかもしれない

しかし、ワクチンもできていない状態で、コロナ専門のお医者や看護師さんを一体誰がやるのか?

自分や家族に感染して、亡くなる可能性もあります

医療関係の方々は命がけです

歴史に残る非常事態だと思います

それにも関わらず、いまだ、外出自粛を批判している人間がいますよね
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結論から言うと

まじで、こういう奴が感染してほしい

と言う話でした