ブログ名、捨てました

興味ある事が多すぎて書きたいことが定まらないので、ブログ名は捨てました

お出掛け 愛知県 名古屋城本丸御殿

名古屋でぼっちツアーをし、名城公園に来ました

名城公園と言えば名古屋城です

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現在、天守閣は閉館してしまいました

しかし2009年から本丸御殿の復元工事が始まり、2018年から一般公開が始まりました

想像の復興ではなく、忠実に再現した復元御殿です

太平洋戦争で焼失した本丸御殿ですが、戦時中に取り外され、大切に保管されてきた襖絵(ふすまえ)・天井板絵など1049面もの障壁画。そのうち1047面が重要文化財に指定されています。また、昭和初期の調査・計測によって残された309枚の実測図、戦前に撮影された約700枚の写真、約2000個の礎石などが、ありし日の本丸御殿をいきいきと伝えてくれます。(公式サイトより引用)

先人の努力の甲斐があって復元ができたわけですね

ところで皆さん、日本国内に御殿ってどのぐらい残っていると思いますか?

ちなみに現存天守は12です

それと「さんま御殿」は数に入りません

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実は、現存御殿は4ヶ所しか残っておりません

高知城と川越城に本丸御殿の2カ所、掛川城と二条城に二の丸御殿の2カ所と、天守閣よりはるかに貴重なものだと分かります

そのため、本丸御殿が復元公開されたのは、個人的には平成のビッグニュースだったのです

 

本丸御殿

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名古屋の本丸御殿は尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年に完成しました

家康が死去したのは1616年なので、もしかしたら家康も訪れたかもしれません

本丸御殿に入る前に簡単なビデオ見ます

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このビデオで注意事項の説明があるのです

歩いていると、さきに出口が視界に入るため、出口から入ってしまう人がいました

 

最初に入るのが中之口部屋

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実質的な一般の玄関だったそうです

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今時の玄関らしく下駄箱があります

居酒屋に入った気分になりました

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撮影はオッケーですがフラッシュはだめです

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まだ公開されて2年も経っていませんので非常に綺麗です

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正規の来客はここを通されます

玄関・大廊下

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一之間、二之間と部屋が二つあり金で虎の絵が描かれています

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これは、車寄で将軍や正規の来客はこちらから御殿に上がるそうです

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表から見るとこんな感じ

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わたしは一般人なので、最初の中之口からしか入れないのです

大廊下を奥へ進みます

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ここから表書院で江戸時代は広間と呼ばれました

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表書院は最大かつ最も格式の高い間として正式に藩主に謁見する際に用いられました。屋根や庇(ひさし)を上下四方に設けた大きな入母屋造(いりもやづくり)の建物です。上段之間(15畳)、一之間(24畳)、二之間(24畳)、三之間(39畳)、納戸之間(24畳)の5部屋からなり、江戸時代には広間と呼ばれていました。上段之間は藩主の徳川義直が座る部屋です。

公的な謁見に用いられた部屋ですね

こちら三之間で、奥に広い

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二之間

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上の方の絵は未完成ですが、来客に威厳を見せるため、湯殿書院とは違い派手です

 

一之間

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奥は上段之間で、その名の通り、高くなっている

お殿様はあそこに座るわけですね

 

隣国より訪れた、美しいお姫様が殿様に

「これ、ちこうよれ」

と言われてる絵が思い浮かびます

 

上段之間を横から覗く

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江戸時代にこんなことすれば即打首でしょう

 

さらに奥へ進みます

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ここから対面所

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藩主が身内や家臣との私的な対面や宴席に用いた部屋です。上段之間(18畳)、次之間(18畳)、納戸(なんど)一之間(24畳)、納戸(なんど)二之間(24畳)の4部屋で構成されています。上段之間及び次之間の障壁画は、「風俗図」と呼ばれ、京都や和歌山の四季の風物や名所、風俗がおだやかな筆致で描かれています。絵師は狩野甚之丞(かのうじんのじょう)と推定されています。黒漆塗(しっくい)の天井板に金箔が貼られた、なんとも豪華な折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)も見どころです。

次之間は和歌山の1年が描かれています

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上段之間に描かれているのは京都の1年

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天井も二重折上げ小組格と言って、これが見所だそうです

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鷺之廊下

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ここからは1634年に増築された部分になります

装飾も豪華になっていきます

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彫刻が凄すぎる

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これはぜひ生で見てもらいたいですね

 

上洛殿

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三代将軍家光が上洛途中に名古屋へ立寄りました

そのためだけに先程の鷺之廊下と共に増築された御成御殿

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三代将軍家光が京都に向かう途中、名古屋城に宿泊します。それに先立ち増築されたのが、本丸御殿で最も絢爛豪華な「上洛殿」です。家光の部屋となった上段之間(15畳)をはじめ、一之間(18畳)、二之間(22畳)、三之間(21畳)、松之間(20畳)、納戸之間(10畳)からなり、室内の装飾は狩野派(かのうは)による襖絵(ふすまえ)・天井板絵、きらびやかな彫刻欄間、飾金具など、細部まで贅の限りが尽くされました。

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全ての部屋に細かい彫刻がある

藩主と将軍とでは、ここまで扱いが違うのです

 

上洛殿の上段之間

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上段之間に座った将軍に、皆ひざまずくのです

こちら↓「帳台構え」と言うそうです

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帳台構え - Wikipedia

天井も四角いマスに全て違う絵が描かれています

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梅乃間

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ここは将軍を接待する武士達の控え室

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御膳所

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御膳所は今で言う、台所です

上の画が上御膳所

下の画が下御膳所

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上は将軍専用、下はそれ以外の人達の台所でしょう

本丸御殿はここまでです

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最後に

襖の金具や釘隠しなど全て職人の手作りです

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すでに、障子に穴が空いている所が多数ありました

特にリュックは前に抱えるなどして、充分注意してお楽しみください

 

そして、安心してください

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お堀の鹿は、今も健在でした 

 

ところで静岡県に「御殿場」って地名があります

実は「御殿場」、徳川家康の御殿を作った事に由来するそうです

江戸から駿府に移動する際の休憩スポットでしたが、御殿が完成してすぐ帰らぬ人となりました

 

戦のない泰平の世をもたらした家康ですが、これら銭の使い方を見る限り、「カプセルホテルで我慢しとけ」と言いたい

 

そしてわたしは、名古屋城ではなく名古屋嬢を求め、夜の街へ消えて行ったのだった

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