神出鬼没、まっさんです。
新しい生活様式になってからは、数回しか旅行に行けてません。
が、仕事で熊本県にやって来ました。
失礼ながら、熊本の名産やグルメが思いつきません。
しかし熊本と言えば「熊本城」です。
ここまで来たら行くしかないでしょう!
実際に行ってきました。
熊本城
熊本城は、加藤清正(かとうきよまさ)が慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけ築城した天下の名城です。その構えは豪壮雄大で、城域は98ha、周囲5.3Kmにも及びます。
当時は大小天守閣はじめ、櫓(やぐら)49、櫓門18、その他の城門29を数え、実戦を想定した巨大要塞でした。
現在は天守閣が鉄筋コンクリートで外観復元され、櫓などの13棟が重要文化財になっています。
平成28年の熊本地震で熊本城も被災しました。
まだまだ記憶に新しいです。
あの時の石垣が、強烈に印象に残っています。
現在は、どうなっているのか?
その辺りもふまえて見学しました。
三の丸駐車場へ停め、入城しました。
【全体図】
二の丸
二の丸には熊本城の見所の1つ、「二の丸御門」と言う大きな門がありました。
現在は石垣のみ残っていましたが、熊本地震で崩落。
積み上げられ、金網のカゴに入れられていました。
チョイと積み上げ方が、雑じゃないか??
気のせいか?
二の丸跡は公園になっています。
遊具などはなく、広場だけです。
この二の丸広場から見た、天守閣。
熊本城は、櫓が天守閣なみに大きく、数も多いため、迫力があります。
加藤神社
加藤神社は全国の加藤さんのための神社、
ではなく「加藤清正」を祭神とした神社です。
加藤清正は幼少期より、石田三成、福島正則などと伴に、秀吉の小姓として仕えてきました。
「熊本城」を築いた以外にも、名護屋城、蔚山倭城、江戸城、名古屋城などの建設に関わったとされ、城だけではなく、土木工事も得意だったようです。
(加藤神社から天守閣)
地震の爪痕
熊本地震から5年以上が経過した今でも、爪痕が残っていました。
立入禁止のエリアもおおいです。
崩れたままの石垣。
こちらも見どころの1つ、連続桝形ですが、石垣が崩れて完全に塞がれています。
桝形とは、万が一敵に侵入されても挟み混んで反撃できる場所ですかね。
熊本城は、これが5段連なっています。
戌亥櫓です。
石垣も崩れ、壁にもクラックが入ってしまっています。
危険な箇所はモルタルで固めてあります。
塀も崩れ落ちています。
こちら五階建てで、天守閣なみに立派な宇土櫓。
こちらも復旧はまだまだ先になりそうです。
大量の瓦置場。
震災前の状態がわからないですが、恐らく地震で落下した瓦だと思います。
これを再利用するのでしょうか?
天守閣
天守閣は2021年春に復旧が完了しています。
コロナ対策で体温チェックと住所氏名を記入すれば見学できます。
遠くからでも間近で見ても凄い迫力です。
天守閣に入る際、お年寄りの団体と重なり、ペースが乱れます。
城内は鉄筋コンクリートの為、殺風景な感じです。
綺麗な史料館です。
熊本城は、中より外からの景色が良い。
唯一の甲冑の展示。
加藤清正の次の城主で細川家に伝わる「御吉例の具足」
最上階から、阿蘇山方面を撮影。
まさか、翌日噴火するとは思いませんでした。
本丸御殿
左側の建物が復元された本丸御殿ですが、現在は非公開でした。
御殿下を通る、「闇り通路」は見る事ができます。
現在、立入禁止箇所が多い為、二の丸駐車場方面から、この様なスロープで本丸までアクセスできます。
便利なのかもしれませんが、雰囲気を壊している感が否めません。
桜の馬場 城彩苑
熊本城で、グルメやお土産を購入するなら「桜の馬場 城彩苑」
城内にお土産は売っていませんのでこちらで購入しましょう。
ミュージア厶などもこちらになります。
平日なので人はまばらでした。
最後に
地震の被害が大きく、まだまだ完全復旧には時間がかかりそうでした。
立入禁止エリアが多く、通路も規制されています。
そんな中で足早に見学しましたが、駐車場に戻った時には1時間半経過していました。
恐らく、城内の半分程度しか見れていません。それだけ広いのです。
とにかく驚いたのは、櫓が多く、どれも立派です。
国宝の「犬山城」や「彦根城」の天守閣よりも、威風堂々としていますね。
以上、震災から5年、阿蘇山噴火前日の熊本城でした。