ブログ名、捨てました

興味ある事が多すぎて書きたいことが定まらないので、ブログ名は捨てました

地名の由来 『北陸〜東海編』

お久しぶりです

いや、

そうでもないですね

全国の地名の由来を調べて三千里、まっさんです 

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今回は「北陸〜東海」の地名の由来です

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富山県

「呉羽丘陵(くれはきゅうりょう)」が現在の高岡市から見て外側にあった事から「外山(とやま)」と呼ばれ、縁起の良い「富山」にしたとする説がある

宇奈月(うなずき)

この地を訪れた人が水の音や風の戯れに心も「うなずき」身も心も清らかになったと言う伝承が由来とされる

呉羽(くれは)

呉服部(くれはとりべ)にちなむものである

機織業を伝来した渡来人・呉織(クレハトリと読み、呉“ご”から我が国に織物を伝えた織工を指す/「はとり」は「機織り」の転)に由来するといわれる

滅鬼(めっき)

近世には大密林地帯で狐狸盗賊の類が出没し、人を近づけなかったので勇猛の士がこれら妖鬼を退治したので滅鬼と名付けたとの説がある

この滅鬼が「鬼滅の刃」の舞台ではないか?と言われています

滑川(なめりかわ)

海水が波となり、川に入ってくる様子から、「波入川」と呼ばれていたものが、滑川になったとする説がある

 

 

石川県

本県最大の河川手取川の古名である「石川」に由来する

手取川と言えば戦国時代に「上杉VS織田」が激突した戦場としても有名です

尼御前岬(あまごせんみさき)

源義経の従女として義経一行の奥州行きに同行していたが、難所として知られていた安宅関超えに際して「女の私がいては足手まといになる」と身を案じてこの岬から身を投げたという伝説が残っている

七尾(ななお)

七尾城のあった山(通称・城山)の7つの尾根(菊尾、亀尾、松尾、虎尾、竹尾、梅尾、龍尾)からと言われる

能登(のと) 

能登半島の「能登」です

 アイヌ語の「ノッ」で【岬、あご】の意味だそうです

珠洲(すず) 

いくつか説があるが、国引き神話に登場する「都都(つつ)」と言う岬が由来になった

 

 

福井県

旧称を「北ノ庄」といったが、寛永元年(1624年)、福井藩第三代藩主の松平忠昌氏が「北」は「敗北」に通じるとして嫌い、縁起の良い名前にと「北ノ庄城」は「福の居る場所」という意味で「福居城」と改め、元禄年間後期、現在の「福井」と改められた

勝山(かつやま)

16世紀後半、蓮如の教化をうけた一向衆徒は、越前門徒の応援を得て村岡山に立てこもり、ついに平泉寺を焼き滅ぼしてしまった。 一向宗徒この勝ち戦いを祝って村岡山を「かち山」と呼んだことによる「勝山」の由来

敦賀(つるが)

 『日本書紀』には、崇神天皇の時代に朝鮮半島から「都怒我阿羅斯等」(ツヌガアラシト)がこの地に渡来したことにちなんで「角鹿(つぬが)」と呼ばれるようになったと伝わります

嫁威(よめおどし)

福井県と石川県の県境にある地域で、カクカクシカジカで姑が面を被って嫁を脅したところ、面が顔にくっついて離れなくなった

言わゆる「肉付きの面」が由来と伝わります

 

 

岐阜県

 尾張「政秀寺」を開山した沢彦宗恩(たくげんそうおん)が「岐山・岐陽・岐阜」という3つの地名を提案し、信長自身が選んだとされています

郡上(ぐじょう)

地図で見た場合に「武儀郡の上にある郡」であることが由来する

盆踊りが有名です

瑞穂(みずほ)

みずほ, 葦がしげり、稲穂がみずみずしく育って、豊かな国という意味を込めて命名された

各務原(かかみがはら)

金属による鏡(銅鏡)などを作る鏡作部がいたことによるというのが定説になっています

尾張に接しており、焼き物に限らず古代には鏡の生産地として知られていたのです

関ヶ原(せきがはら)

関所のある原っぱという意味をもち、これが由来だと言われている

関東、関西と言う呼び方も関ヶ原を境にしているのです

 

 

静岡県

明治2年の改称の際、重臣たちが市の中心に位置する「賤機山(しずはたやま)」にちなんで「賤ヶ丘(しずがおか)」と命名しましたが、偉い先生の提案で「賤」を「静」に変更し「静岡」にしたとされます

伊豆(いず)

伊豆半島が海中から出る地形であったところに起因しています

海中から出る地形が「海から出づる(いづる)」になり、「出づ→いづ→いず」となり「伊豆」の文字が当てられたそうです

熱海(あたみ)

海中より温泉が凄まじく沸きあがり、海水がことごとく熱湯となったため、「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」と称されるようになったと言われています

御殿場(ごてんば)

「将軍の御殿がある場」というのが由来

結局、徳川家康は一度も御殿を使う事なく亡くなってしまった

掛川(かけがわ)

中心部を流れる逆川の流れが、切り立った崖のように見える点から「缺けた川」と呼ばれ、次第に略されて「懸川」となり、「掛川」と改名された

浜松(はままつ) 

元々「浜津」で、この地は港であったが土砂などで港の機能が失われたため、「松林の浜」の意味で「浜松」になったとする説と、縁起の良い「松」の字をあて「浜松」になったことから、読みが「はままつ」になったとする説がある

 

 

最後に

東海地方と言う事で、愛知県と三重県まで調べるのつもりでしたが、ここで一旦終わらせて頂きます

何度も言いますが、由来はいくつかありました

正しい、間違い、は別として、わたしは一つも知りませんでした

関ヶ原が基準ならば、愛知県は関東になるんですね

もちろん、岐阜県も関東人ってことですね

「やろ」や「だがや」は関西弁のイメージがあるので、極力ひかえて「でしょ」「だよね」をつかいましょ

 

次回はいよいよ折返し地点の「東海〜近畿地方」です

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