ブログ名、捨てました

興味ある事が多すぎて書きたいことが定まらないので、ブログ名は捨てました

地名の由来 『近畿〜山陽編』

3ヶ月で10Kg太り、2ヶ月で5Kg痩せた、まっさんです

ガリガリは御免なので、ある程度で止めたい

しかし、この体重をキープするのが意外とむずかしい

 

さて、全国の地名の由来を調べて参りましたが、いよいよ後半に突入

今回は『近畿〜山陽編』です

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その前に前回「大府(おおぶ)」の地名のさい、『中古』という表現を使いました

(参考資料をそのまま写しただけですけども…)

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『中古』とは『中世』の事をさすと思っていましたが、今回の場合は「平安時代」のようです

id:rio-masakiさんのおっしゃる通りです

さすがです

 

 

大阪府

大きな坂があった地形に由来する説と、大きなスカ(低湿地の事)があったという、これら地形に由来するといわれている

梅田(うめだ)

元々、低湿地だったが埋め立てられて田畑になると「埋め田」と呼ばれ、「梅田」に変化したとされる

難波(なんば)

難波は川が多く、魚の多い場所だったからという説がある

魚は昔「ナ」と呼ばれており、魚が多く棲む庭という意味で「なにわ」と読むようになり、これが変化して「なんば」と読むようになった

高槻(たかつき) 

安満庄にあった天月弓杜(あめのつきゆみのやしろ)が高月読杜(たかのつきよみのやしろ)とも呼ばれ、そこからその一帯は「高月」と呼ばれたという説がある

「槻」はケヤキの古称で戦国時代、この地に槻の大木があったことから「月」から「槻」へ改められた

堺(さかい)

方違神社付近がかつて摂津国・河内国・和泉国の3国の「境(さかい)」であったことに由来と言われる

和泉(いずみ)

神功皇后が新羅出兵の途中、この地を訪れたところ、地中に波音があり、一夜にして清泉が湧き出たことから、それにちなんで「和泉」と名づけられたと伝わっています

 

 

 

和歌山県

元々は「岡山」だったが、羽柴秀吉の命を受けた羽柴秀長が城の築城を行います

その時、古代からの名勝地「和歌浦」から、秀吉が「和歌山城」と名付けた事が由来と言われています

学文路(かむろ)

梅の木が多く、春先には梅の香りが満ちていた事から「香室」と呼ばれそれが「学文路」となった

九度山(くどやま)

空海のいた高野山は女人禁制で、訪ねてきた母親をこの地に滞在させた

そんな母親に月に9度会いに来ていたことから九度山の地名が付いたと伝わる

牟婁(むろ) 

「室(むろ)」は「周りを囲まれた所」を意味し、三方を山に囲まれた田辺湾を指す地名です

湯浅(ゆあさ)

今から5,000年ほど前から湯浅に人が住み始めました

当時は、海が今よりずっと中まで入り込み、水(ゆ)が浅く広がっていたことから、「ゆあさ」の名がついたと伝わっています

 

 

 

兵庫県

広辞苑によると兵庫は武器庫の意味で大化の改新のさい、摂津国境の播磨関を守るため武器を収める庫として設置された「兵庫(つわものぐら)」が由来と考えられています

武庫(むこ)

難波と武庫が向かい合い、対岸に山から、向かい山・向こう山と呼ばれ武庫山となり、向こうの海から、武庫ノ海・武庫ノ浦と呼ばれ、その山麓を流れ海に注ぐので武庫川と名づけられたとする説がある

ちなみに武庫山は六甲山のことだそうです

宍粟(しそう)

 宍粟」の名称は山崎町の中心部に残る地名・鹿沢(しかざわ)を古くは「ししさわ」と読んだことに由来する

以後「ししさわ→ししあわ→しさわ→しそう」と変化し「ししあわ」に「宍禾」ないし「宍粟」の漢字が当てられた

神戸(こうべ) 

現在の三宮・元町周辺が古くから生田神社の神封戸の集落(神戸「かんべ」)であったことに由来するそうです

宝塚(たからづか)

「塚」は古墳を意味します

その昔、この塚のそばでものを拾うと必ず幸せになれると言い伝えられたそうです

 

 

 

岡山県

もともと現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが、戦国時代に宇喜多秀家が「岡山」に城を築き、その後形成された城下町を含めて岡山と呼ぶようになった

倉敷(くらしき)

物資を保管している場所のことを『倉敷地』と呼ぶことから付いた地名であるとも考えられています

鬼ノ城(きのじょう)

「異国の鬼神(百済の王子で名を温羅(うら)という)が吉備国にやって来て備中国の新山(にいやま)に居城を構え、しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり、婦女子を掠奪したので、人々は恐れおののいて「鬼ノ城」と呼ぶようになった

これが桃太郎伝説とむすびついたそうです

高梁(たかはし)

元々、「高橋」だったが「松山」に改名

明治になり伊予の松山と混同を避けるため「たかはし」に戻したが、この際に「橋」を雅字の「梁」にあてたそうです

和気(わけ)

古代に当地にあった、古代山陽道の吉井川の渡し船「別之渡(わけのわたし)」の遺称であるとされています

 

 

 

広島県

毛利氏の祖先である大江広元の「広」と、この地の戦国時代の武士福島元長の「島」を合わせたものとか、あるいは、広くデルタの島々が合わされたという自然の地の形に由来すると言われています

己斐(こい) 

元々は「鯉村」だったが、奈良時代の好字二字令により「鯉」を「己斐」に変えたとされる

厳島(いつくしま)

厳島神社のご祭神(ごさいじん・祀られている神様)である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)とされ、「いちきしま」が「いつくしま」に転じたという説があります

鞆の浦(とものうら)

「武具の高鞆(たかとも)」を社に奉納されたことからこの地が「鞆」と呼ばれるよう

呉(くれ)

呉一帯をつつむ連峰を「九嶺(きゅうれい)」と呼び、それがなまって「くれ」になった。 なお、市章はこれにあやかり、カタカナの「レ」9つで星形をかたどったものである。 灰ヶ峰から伐採したくれ(榑、板材の意)が特産品として有名になったことに由来すると言われる

三次(みよし) 

古代からの郡名によるもので、「水(み)」と古い朝鮮語で「村」を意味する「すき」があわさって「水村(みすき)」となり、その後「みよし」に転じたという説が有力です

 

 

 

鳥取県

水鳥を捕らえ朝廷に献上する鳥取部(ととりべ)が置かれたことに由来するといわれています

まさに「鳥を取る」

智頭(ちず)

道俣(みちまた)とは、「道が合流するところ」という意味があり、元々は「道頭(ちづ)」

道の頭という意味から変化して『智頭』になったのではと云われています

御来屋(みくりや)

元弘3(1333)年に隠岐を脱出した後醍醐天皇がこの地に上陸したとされたとして「御来屋」と呼ばれているとされます

米子(よなご)

賀茂神社の近隣に住む人たちは境内の井戸で、お米をといでいました。お米を研ぐことを「よなぐ」と言ったので、その井戸を「よなぐ井」と呼んでいました

それがいつしか変わって「よなご井」と言うようになったそうです

そしていつしかその井戸の名をとって、この辺りの集落を「よなご」と呼ぶようになったそうです。その後、吉川元春が砦を築いた際に、「よなご」に「米子」という漢字をあてて呼ぶようにしました

江府(こうふ)

「こうふ」といえば「甲府」ですが鳥取県にもありました

町内を流れる 日野川、俣野川、船谷川、小江尾川にちなみ「河川が合流し府(中心)となす」の意味で名付けられたそうです

 

 

 

最後に

近畿〜山陽地方地名を調べてみましたが、ご存知でしたか?

由来はいくつかあるので、何が正しいか、現在は知る由もないです

しかし、山陽地方も摩訶不思議な地名がありますね

日本は小さい島国と言えども、地名を把握するのは不可能に近いです

まだまだ知らない土地が沢山あります

 

次回は「山陽〜四国編」です

 

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