どうも、マッサンです
先日、静岡県浜松市にある城跡、二俣城へ行きました
実はそのすぐ近くに、別の城跡があります
二俣城へ行ったついでに、そちらも訪れました
鳥羽山城
鳥羽山城跡(現、鳥羽山公園)は浜松市天竜区にある山城跡です
標高100m、二俣城との距離は直線距離で500m
武田軍から二俣城を奪回するための本拠地として 築城されたとされますが、諸説あるようです
地図を見てもらうと、 本当に近いのが分かります
「鳥羽山公園」が城跡です
こんなに近いと「築城中に攻撃されるのでは?」と思います
しかし、当時の天竜川は二俣城と鳥羽山城の間を流れており分断されていたとされます
公園の専用駐車場がありますが、麓の山道入口が分かりにくい
大手通から向かう
大手通は城下町とお城を繋ぐ道
落葉だらけに見えますが、比較的立派な大手通だと思う
お城の表玄関大手門
こちらも跡しか残っていない
こちらは「暗渠」と言う排水口だそうです
当時の人たちが電気やガスもない中で、どのような生活をしていたかを想像するのも、お城の一つの楽しみ方でしょうか
こちらは近世に造られた排水溝だと思う
どちらにせよ、落葉で埋め尽くされている
本丸跡
本丸に建造物は残っていないが展望台がある
展望台からの景色
天竜川と三方ヶ原台地が見える
こちらの台地も家康と信玄が戦った「三方ヶ原の戦い」の舞台ですね
天竜川が作り上げた扇状地です
奥にはロングローラーすべり台があるが使用禁止
見所
この鳥羽山城へ登城してみて「面白いな」と思ったのがこちら↓
この画像を見て、ピンッときた、あなた
歴史評論家と名乗っても良いかもしれません
岩が点々としていて枯れた木が生えている
山に良く見る景色です
しかし、実はこれ山の景色じゃありません
日本庭園の跡なのです
「枯山水」と言って、水がない庭に小石など使って水を表現しています
お城を30城以上訪れましたが、本丸に日本庭園があるお城は初めてでした
最後に
帰りは大手道から、分岐している道から下る
この道も名前があるのかもしれないが、わからない
落葉で足を滑らせないように慎重に歩いた
最初にも言いましたが、徳川家康が二俣城を奪還するために、この鳥羽山城を本拠地としました
後に豊臣政権になり家康は関東へ国替えする事になります
豊臣時代は堀尾吉晴が遠江国の城主になりました
その堀尾吉晴は関ヶ原の戦いの後、出雲国へ移封され、松江城を建造
松江城は国宝現存天守として、現在もすばらしい景観をのこします
www.masu-hoi.com
松江城が落成した年に吉晴はこの世を去ります
振り返ると堀尾吉晴は信長、秀吉、家康の3豪傑に仕えた人物でした
さらに戦国時代の武将は転勤族だったと言えるでしょう
何かあれば、全国各地へ飛ばされます
しかし、それがきっかけで日本の首都は東京(江戸)になったわけです
家康が、遠江、三河に居続けていたら、今ごろ日本の首都は浜松か岡崎だったかもしれません
勝手な感想ですが、二俣城よりも鳥羽山城のほうが面白いと思いました