どうも、僕です
マッサンです
今回、静岡県浜松市にある山城へ行ってきました
しかし浜松市は平成の大合併により長野県との県境の山奥までも市内になってしまいました
その結果、浜松市は日本で2番目に面積の広い市町村になったようです
ちなみに1位は岐阜県の高山市
お城があるのは浜松市天竜区、旧天竜市になります
今でこそ天竜区ですが、我々、静岡県民からすると天竜は今でも浜松市とは別の市に感じます
天竜区
静岡県浜松市天竜区は浜北区の北に位置し、旧天竜市、旧龍山村、旧春野町、旧佐久間町、旧水窪町の5市町村が浜松市に編入された
この天竜区だけで浜松市の面積の6割を占めるそうだ
静岡県は浜松市と静岡市が巨大化している
浜松市と静岡市の2市だけで静岡県の面積、半分近くを占めるのでは?
上の画像にも写っていますが旧天竜市二俣といえば静岡のスーパーローカル線、天竜浜名湖鉄道が走っています
天竜浜名湖鉄道は通称「天浜線」と呼び
掛川市から湖西市新所原までを結びます
車両は1両編成でワンマン運行です
簡単に言うとバスみたいです
天竜区の天竜二俣は山間部の入り口ともいるでしょう
佐久間地区、水窪地区はJR飯田線が走っています
自然豊かな地でキャンプや川遊びなどにはもってこいの地域だと思います
っていうかそれくらいしかないです
二俣城
今回行ったお城が旧天竜市の二俣にある二俣城跡です
井伊家ゆかりと書いてありますが、家康の嫡男「信康」が命を落とした場所です
織田信長に「敵と内通している」と疑われ、幽閉された後に切腹したとされます
二俣は旧天竜市の中でも中心部になります
お城への道がわかりにくく、住宅地の奥にあるためアクセスが悪いです
近隣の城跡です
知らない城ばかりですな
天竜区の水窪と長野県飯田市の県境に標高1000mを越える青崩峠があります
この峠を越え、武田家が軍を率いて遠江に侵攻してきました
そのため、兵が越えてきた峠で「兵越峠」とも呼ばれます
実際に車で走ってみると国道152号は峠部分のみ開通していません
現代の技術を持ってしてもトンネルを掘れなかったのです
現状、峠を越えるには急な山道を走る事になります
上の画像の地図では紫の部分が国道ですね
地図上でも青崩峠の部分が途切れています
わたしはこの峠を通るたびに、
「武田軍が攻めてくるかもしれない」
と思うのです
戦国時代、武田軍がはるばる峠を越え攻撃した城が、今回の二俣城です
標高約80メートルの中腹に車を停め、歩きます
整備された遊歩道
そして、こんな立札が見えてきました
「堀切」 と書かれていますが何のこっちゃ
説明もなしで、どこの事で何の事を言っているのか、さっぱり分かりません
他の市町村と比べてしまうのはいけませんが、浜松市が城跡に力を入れていないのが良くわかります
ここからは、私の勝手な解釈をします
堀切は人口的に掘った堀で、この道を右に行くと本丸です
立札の後ろに見える斜面が本丸の曲輪の土塁跡と思われます
ですので、本丸の曲輪沿いに堀切を掘ってあったのでしょう
こちらも生い茂る植物を伐採して、見やすくして、出来るだけ当時のお城を体験できるようにしてもらいたいです
本丸の北側に北の丸跡があります
現在、北の丸には旭ヶ丘神社が建っておりました
浜松市教育委員会の 画像をお借りして城全体図をみてみます
北の丸だけ独立していますね
南の丸もありますが北の丸の方が明らかに大きい
全体図を見ると先程の「堀切」は北の丸と馬出しの間?橋のかかっていた所だろうか?
分かりにくい
さらに地図上で見てみると天竜川と二俣川の合流地点にお城があります
左側から出てきているのが二俣川
木が多くて見にくいですが天竜川が真下を流れ、崖です
これも勝手な想像ですが、二俣城は北から敵が攻めてくるのを想定して作られたのではないかと思います
北の丸は真田丸の様な出丸の役割だったのかもしれません
本丸跡です
現在も天守の土台の石垣が残ります
規模は大きくありませんが立派な野面積みです
二の丸からは東方面(城下町?)の景色がよく見えます
二の丸内には城山稲荷神社
最後に
戦国時代、激戦が繰り広げられた、二俣城
天浜線、二俣本町から徒歩10分程度でアクセス抜群です
浜松駅からお越しの場合はJR浜松駅から遠州鉄道へ乗り換え、西鹿島で天浜線に乗り換えです
そう考えるとアクセス抜群とは言えないです
特に観光スポットもないので、よほどのお城好きの方以外にはオススメできません
いや、
ありました
HONDAの創業者、本田宗一郎は、なんと二俣出身です
以上、二俣城跡でした