こんにちは
「恩学菊乃戦門ノ助」改めまして
ミュージックはもっぱら聞く側の
「ミユウジツク菊川」です
横文字を入れてグローバル化してみました
青春時代に聞いていた曲は歳をとっても特別な想いはありませんか?
今から約20年前、わたしの青春時代はビジュアル系ブームの真っ只中
X JAPAN筆頭にLUNA SEA、GLAYなどなどバンドが豊富でした
さらには小室ファミリーは曲を出せば売れる
他にも新しいミュージシャンが次から次へと出てきて
とにかくCDがミリオンヒット連発の時代でしたね
そんな時代の中でも圧倒的なカリスマ性を持っていたのがこの人
歌声はもちろん容姿、ファッションなど常に時代の最先端を行き
「あゆ」の愛称で世の女性達の憧れの存在でした
紙の毛で胸を隠すなんてハイレベルな事をしていますが
これが 「LOVEppears」と言うアルバムのパッケージだったのです
当時16〜17歳でうぶな少年だったわたしミユウジツク菊川は、
「エロ本」を買うのと同じくらい緊張して買った記憶があるのです
そんな「あゆ」を語りたいと思います
女優時代
1978年、福岡県福岡市出身
幼少期に両親は離婚しているため、母親に育てられる
我々の世代なら誰もが知っていますが1993年〜1997年まで
サンミュージック所属でモデルや女優で活躍していました
いしだ壱成主演の「未成年」にも出演していました
この頃から、お目々ぱっちりで可愛らしいですな
歌手になる前の貴重な歌声
歌手デビュー
サンミュージックと契約がきれたタイミングでエイベックスへ移籍
ヴォイストレーニングのため渡米し1998年にデビューする
PokerFACE
このデビュー曲から作詞は自身が担当していたようだ
A Song for ✕✕
ファーストアルバム「ASongfor✕✕」が約150万枚の大ヒット
歌手として大成功すると共に女子高生のカリスマになる
日本を代表する歌手へ
その後もヒットを連発
20代前半にして日本のトップアーティストとなる
appears
この頃にはエイベックスの経営にも影響する様になり
売上の4割が「浜崎あゆみ」によるものだった
M
2010年までCDで新曲を出し続けた
BLUE BIRD
1998年〜2010年までの12年間で発売されたシングルはなんと50枚
1年で平均4枚以上は新曲を出し続けたのですね
2000年には左耳が内耳突発性難聴を患らったが、満足な治療をしなかった為
完全に聴力を失ってしまう
それでも現在もライブをやり続けているのは、まさにプロだからでしょう
2度の離婚
30歳を過ぎてから二人の外国人と結婚をしますが
どちらも1〜2年で離婚してしまいます
この頃、外国人との食生活の違いなのか、離婚のストレスなのか
わかりませんがネット上で激太りしたと言われるようになります
たしかに、たくましく見える
インスタグラムにアップする画像も修正疑惑がかけられてしまいます
実際にテレビとインスタでは外見にかなりの違いがありました
しかし、何十年も体型を維持していくのは相当な努力が必要ではないでしょうか
そんな「あゆ」、2018年の画像には痩せた姿が確認できます
この年に40歳の節目を迎えてます
もし「浜崎あゆみ」ではなかったら、奇麗な40歳だと思いますね
ギャルを捨てきれずにいますが「浜崎あゆみ」と言う商品がゆえに少しでも老けたり、体型が変わると叩かれてしまいます
最後に
「あゆ」は身長が低いのがコンプレックスでいつも厚底を履いている
公表している身長は157センチだが、実際はもっと低そうだ
しかし、常にファッションリーダーでもあった
金髪や巻髪、ネイル、シッポも流行らせました
さらに大阪のおばちゃんのイメージが強かった「豹柄」をファッションに取り入れ
その他にも、ゼブラ柄や迷彩も定番化させた
ここ数年、衣装が過激になり「胸」を強調した服が多い印象です
(松田聖子か!)
青い衣装を着れば「安室のマネだ!」
金の衣装を着れば「千手観音かずこだ!」
ライブをやれば「ダンサー多すぎ!」「開演遅れすぎ!」
ここ数年は何をやっても叩かれてます
かつて「松田聖子」もいい歳してブリっ子をしていて悪く言われてました
しかし、それを貫き通し「美魔女」と言われる様になりました
音楽、ファッション業界に数々の功績を残している「平成の歌姫 浜崎あゆみ」
叩かれながらも奇跡の40代、50代になってもらいたい
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