ミステリー好きの皆さんこんにちは
事実がはっきりしないまま片付けられてしまった
そんなミステリー事件が世界には数多くあります
今回はわたしが適当に抜粋したミステリー事件を紹介していきます
今までのミステリーシリーズとは少し内容が違います
苦手な方はご遠慮ください
目次
福島県女性教員宅便槽内怪死事件
日本にも数あるミステリー事件で特に印象に残ったのがこの事件
1989年の2月28日、福島県田村郡都路村(現在の田村市)の
女性教員宅便槽内で死体が発見された
死体は若い男性で女性教員の知人だった
当時は汲み取り式のトイレ(ぼっとん便所)
女性教員がトイレの中から靴のような物を発見
それをきっかけに便槽から死体が発見される
発見された時の状況がこちら↓
見ての通り、汲み取り口が36センチ、便器口が26センチと
大人が男が入るにはとても狭い
汲み取り口から遺体を出そうにも出なかった
そのため重機を使って便槽を壊したようだ
事件がおきたのは2月でその日は大雪だった
寒さが厳しい中、上半身は裸で片方の靴は頭付近
もう片方が、近所の河川敷に落ちていたという事だ
外傷は擦り傷程度で死因は凍死
結局、警察には事件性なし「のぞき目当ての凍死」で片付けられてしまった
ぼっとん便所、昭和生まれの方なら1度は使った事あると思いますが
覗くと便槽内は糞尿が溜まっています
例えド変態だったとしても、入っても出れないかもしれないそんな
糞尿まみれの便槽で、真冬に上半身裸でのぞきしますか?
ディアトロフ峠事件
1959年、ソビエト連邦で起こった事件
−30℃のウラン山脈北部でスキートラッキングをしていた男女9人が不可解な死を遂げた
彼らは男性8名、女性2名からなる10人グループで、全員が雪山登山の経験豊か
頑強な若者たちだった
しかし、1名だけ急病にかかりリタイアしたため9名になった
その9名、誰一人帰ってくる事はなかった
以下、wikipediaより
メンバー
1、イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ(Игорь Алексеевич Дятлов)、一行のリーダー、峠の名前の由来
2、ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ(Зинаида Алексеевна Колмогорова)
3、リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ(Людмила Александровна Дубинина)
4、アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ (Александр Сергеевич Колеватов)
5、ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン (Рустем Владимирович Слободин)
6、ユーリー(ゲオルギー)・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ(Юрий (Георгий) Алексеевич Кривонищенко)
7、ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ(Юрий Николаевич Дорошенко
8、ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ (Николай Владимирович Тибо-Бриньоль)
9、セミョーン(アレクサンドル)・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ (Семен (Александр) Александрович Золотарёв)
10、ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディン(Юрий Ефимович Юдин)
10番目のユーリーが急病でリタイア
2013年に亡くなっている
経緯
一行が登山を終えてヴィジャイに戻り次第、ディアトロフが速やかに彼のスポーツクラブ宛に電報を送ることになっており、おそらく2月12日までには電報が送られてくるだろうと予想されていた。しかし事前にディアトロフがユーディンに、もう少し遠征が長引くかもしれないと話していたこともあり、日にちが過ぎて連絡がなかったにも関わらず、誰もこのことに特に反応しなかった。2月20日になってようやく、一行の親族たちの要請で最初の救助隊を送った
その後、軍と警察が腰を上げ、救助活動はヘリコプターや航空機を投入した大規模なものとなった。
捜索隊がホラート・シャフイル山で、酷く損傷して放棄されたテントを発見した。テントを発見した学生は「テントは半分に引き裂かれ、雪に覆われていました。中には誰もおらず、荷物はテントに置き去りにされていました」と述べている。調べによると、テントは内側から切り裂かれていた。8つないし9つの靴下の足跡、片足だけ靴を履いた足跡、そして裸足の足跡が、近くの森(谷の反対側、1.5キロメートル北東)に向かって続いていたが、500メートル進んだところで、雪に覆われて見えなくなった。捜索隊は森のはずれの大きなヒマラヤスギの下で、下着姿で靴を履いていないユーリー・クリヴォニシェンコと、ユーリー・ニコラエヴィチの遺体、そして焚き火の跡を発見した。木の枝が5メートルの高さまで折られていたことは、彼らのうちの1人が木の上に登って、何か(おそらくキャンプ)を探していたことを示すものだった。捜索隊はさらにヒマラヤスギとキャンプの間で、ディアトロフ、ジナイダ・コルモゴロワ、そしてルステム・スロボディンの3人の遺体を発見した。遺体はそれぞれ木から300メートル、480メートル、630メートル離れた位置で別々に見つかり、その姿勢は彼らがテントに戻ろうとしていた状態で亡くなったことを示唆していた。
残り4人の遺体を探すのにはさらに2ヶ月を要した。残りの遺体は、ヒマラヤスギの木からさらに森に75メートル分け入った先にある渓谷の中で、4メートルの深さの雪の下から発見された。4人は他の遺体よりまともな服装をしており、これはどうやら最初に亡くなったメンバーが、自分たちの服を残りの者たちに譲ったらしいことを示していた。ゾロタリョフはドゥビニナの人工毛皮のコートと帽子を被っており、同時にドゥビニナの足にはクリヴォニシェンコのウールのズボンの切れ端が巻かれていた。
(引き裂かれたテント)
遺体には争った形跡はなかったが、2体に頭蓋骨骨折が見られ、別の2体は助骨を損傷、1体は舌を失っていた。 さらに何人かの犠牲者の衣服から、高い線量の放射性物質が検出された
これらの事から様々な憶測がなされた
・何者かに襲われた
・天災に巻き込まれた
・軍の秘密裏に行われた核実験に巻き込まれた
−30℃の極限状態にいると矛盾脱衣がおこるらしい
結局、「雪崩に巻き込まれてパニックに陥った」との見解だそうだ
9.11アメリカ同時多発テロ事件
まだまだ記憶に新しい、アメリカ史上最大のテロ事件
当時、ニュースステーションを見ていたら
「ハイジャックされた航空機がビルに突撃する」と言う
まるで映画を見ているかの様な映像が飛び込んできました
このテロ事件により大勢の方がお亡くなりになりました
アメリカは事件の犯人はテロ組織アルカーイダと断定
リーダーであるオサマビンラディンの引き渡しを要求したが応じなかった為
アフガニスタンへ侵攻し戦争に突入した
しかし、この事件 陰謀論がたえない
・航空機は上部に突撃したにも関わらず、ビルが2棟とも綺麗に下まで崩れている為計画的な爆破だったのではないか
・事件当日、ユダヤ人犠牲者がいなかった
・ビルに多額の保険金が掛けられていた
など、不可解な点が多い
さらにこちらをご存知だろうか
イルミナティカード
1983年に発売されたカードゲーム
このカードに書かれている事が実際に起きている
未来を予言していると話題になったゲームだ
その中の1枚にこんなカードがある
上の画像にそっくりではないだろうか
オリンピック号
1911年に就航、1935年に引退した豪華客船
この船は三姉妹で、 1隻は「ブリタニック号」もう1隻があの有名な「タイタニック号」である
「タイタニック」が有名になるのは映画がきっかけで、それまで3隻は「オリンピック級」と呼ばれていた
オリンピックとタイタニックがほぼ同時期に建造されている
ブリタニックだけが2隻よりおくれて建造
短命だった2隻とは違い、引退まで大西洋を駆け巡った
しかしオリンピック号は就航してすぐ2度の事故にあっている
その為、この様な説がある
すり替え説
事故でボロボロのオリンピック号は保険をかけておらず多額の修理費が掛かる
さらに「ブリタニック号」も建造しなければならない
お金に困って思いついたことが
「すり替えて就航させる」
その相手となったのが「タイタニック号」だ
タイタニック号の写真がこちら
(wikipediaより)
素人には見分けがつかない
(wikipediaより)
すり替え説の根拠
・タイタニックには多額の保険が掛けられていた
・タイタニックの事実上オーナーJ.Pモルガンは処女航海をドタキャン
・モルガンと親交のあったお金持ちもタイタニックの乗船をドタキャンしている
・オリンピック号の船体の名前に修正がなされている
・オリンピック号で2度も事故を起こした船長がタイタニックの船長だった
・タイタニックのスクリューのナンバーがオリンピックの物だった
これらを根拠に「史上最大の詐欺事件」と囁かれている
最後に
不可解な事件、事故も調べてみると沢山あります
中でもワールドトレードセンタービルとタイタニックには多額の保険金が掛けられていた
大勢の人が亡くなった裏では、一部の人間が多額の保険金を手にしている
所詮、世の中は一部の権力者でまわっているのだろうか
皆さんは、どの様に思いましたか?