ブログ名、捨てました

興味ある事が多すぎて書きたいことが定まらないので、ブログ名は捨てました

日本の家紋

皆さん、元気ですかっー!?

令和に入り、人生の節目が立て続けに訪れています。

転職⇒コロナ禍⇒次男誕生⇒女性化 

と、もはや人生の方向性を見失っています。

 

こんな詞があるのはご存知ですか?

 

「この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。」

 

そこで進んだ道が、自分と自分のハイブリッド。

男の自分と女性化した自分を掛け合わせてみる事にしました。

www.masu-hoi.com

 

 

 

そして、たどり着いたのが、

 

こちらです。

 

 

⬇⬇⬇

 


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こっこれは!?

お友達になりたーい!

 

 

さてさて、冗談はさておき、

今回、日本の文化に注目してみたいと思います。

日本特有の文化と言っても色々ありますが、「家紋」について触れたいと思います。

 

 

家紋とは

家紋(かもん)とは、日本固有の紋章です。

日本特有の文化で家系、血統、家柄・地位を表すために使用されてきました。

世界的にみてもユニークな「家紋文化」で、今でもほとんどの家に家紋があるといわれます。

家紋の起源は平安時代まで遡り、貴族(公家)が各家の固有目印として使う様になった。

武家の家紋は公家よりおそく、戦場において自分の働きを証明、また名を残す自己顕示のため各自が考えた固有の図象を旗幕、幔幕にあしらったことが、その始まりであったと考えられている。

爆発的に増えたのは戦国時代。合戦の際に敵味方の区別をつけやすくする為です。

第二次世界大戦後、文化が欧米化するにつれて、家紋は廃れていきます。

しかしながら、現在も伝わっているお家がほとんどです。

もし、自分の家の家紋がわからなければ、お墓を見てみると、彫ってある可能性が高いです。

次回のお墓参りは、ぜひ家紋に注目してください。

では、いくつか家紋を紹介します。 

 

 

織田木

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木瓜紋は、一般的に多くの家で使用されていることから十大家紋と呼ばれています。

織田木瓜は、言わずと知れた「織田信長」の家紋です。

木瓜と書くので、胡瓜の切り口から案出されたという。が、本当は地上の鳥の巣をあらわしている様です。

もっこうと 呼びならされてきたのは、多くの神社の御簾の帽額(もこう)に使われた文様だからという。

この紋は鳥の巣であるから、 卵が増えて子孫が繁栄し、また神社で用いられる御簾から、神の加護があるというめでたい紋といえるそうです。

 

 

 

 

桐紋

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昔は桐のたんすや調度品が多かったので、桐畑が多かった。

五月頃に咲く桐の花は美しかった。が、今は桐の木は あまり見かけなくなった。

また昔の中国では、桐の木を「鳳凰」がきて鳴くめでたい木と呼んでいた。鳳凰は想像上の 瑞鳥で、鳴き声はわからないが「聖天子誕生、聖天子誕生」と鳴くという。それで桐は聖天子のシンボルに なったらしい。

日本にもこの思想が輸入され、桐紋は皇室で使用されるようになったそうです。

 

しかし、実はこの桐紋、「豊臣秀吉」も使用していました。

豊臣秀吉が、豊臣姓を名乗った際に、使用していた「五七桐」は、当時の天皇であった後陽成天皇から与えられたとされています。

さらに後に秀吉は「五七桐」をアレンジして、「太閤桐」なる物を使用します。

豊臣秀吉と言う人間がそれだけ、権威や権力に執着していたと言う事でしょうか。

 

さらに「五七桐」は現在の日本政府が使用しています。

豊臣秀吉と政府は無関係ですが、天皇家が「菊紋」を 主に使用しているため、政府が「五七桐」を選んだと言われます。

 

 

 

 

徳川葵

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「 葵紋 」は、フタバアオイと言われる植物を家紋としたもので、京都にある 加茂神社の神紋が由来 となっております。 

その賀茂氏とつながりの深かった三河国の武士達も葵紋を家紋として使用していました。

ウマノスズクサ科 の フタバアオイ を図案化したもので、フタバアオイの通常の葉の数は2枚である。

3つの葉をもつフタバアオイは稀で、三つ葉葵は架空のものです。


徳川家も三河国の武士であったため葵紋を使用していましたが、豊臣家が滅んだあとは徳川家康の賢威が上がるにつれ徳川家が使用する葵紋も特別な存在となっていきます。

さらに徳川家康は、葵紋を他の家が使用する事を禁じます。

日本で葵紋を使用しているのは、徳川将軍家と御三家のみなのです。

 

 

 

抱き柏


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柏の葉は適度な大きさから、古代より神の供物を盛るための器として用いられていたため神聖視された。

このため、神職関係者に多いそうです。

 

この「抱き柏」実は、わたしの家の家紋でもあります。

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しかし、わたしのうちは神職関係ではありません。

 

十年ほど前に祖母の遺品から家系図が見つかりました。

江戸時代に初代が三河から遠江に来た事が分かりました。

そこから商売を初めて、問屋として成功し、財を築いたようです。

ところが、5代目が金融業で失敗し、散財。

かろうじて、血だけは8代目となる、わたくしまで続いています。

商売が上手か下手か、定かではありませんが、商売人の血が流れている訳ですね。

 

もしかしたら、三河時代に神職と関わりがあったのかもしれませんが、これ以上昔の事は分かりません。

 

とにかく、柏の家紋は、元々神に近い職業だった可能性は高いです。

 

  

 

まとめ

皆さんは、家紋についてどこまでご存知でしたか?

最初にも言いましたが、「家紋」は1000年以上前からあり、家系、血統、家柄・地位を表すために使用されてきました。  

元々は公家が、アクセサリーやタトゥーのようなファッションとして使用していました。

簡単に言うと、自分や家を目立たせる為の紋章なのです。

 

令和の現在に、古き良き日本の文化を復活させ、服の柄やスマホのケースなどを家紋柄にするのはどうでしょうか?

ご自宅の家紋が分からない方は、

カーモンベイビーOHAKA!