こんにちは
来年は30代が最後になる、まっさんです
まさかこんなにも早く、自分が40歳になるとは思ってもいませんでした
自分が若い頃きっと40歳の頃は「大人になっているだろう」と思っていました
今の所は…
子供のままですね
話は戻りますが、中国の首都、冬の北京へ行ってきました
www.masu-hoi.co
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「北の京」と書くだけあって、とても寒いです
凍えながら天安門を通過し、世界遺産「紫禁城(故宮博物院)」を目指します
世界遺産でもありながら世界最大の木造建造物でもあります
そんな紫禁城へ突撃です
紫禁城
故宮(紫禁城)は、北京の旧市内のほぼ中央を占める紫禁城のことで、明、清時代の古い宮城ゆえに故宮と呼ばれ、約490年間、24人の皇帝の居城となりました。故宮は1961年に中華人民共和国国務院によって全国初の「重点文物保護単位」の一つとなりました。更に、1987年ユネスコの世界遺産に指定されました。
元は故宮と共に宮苑や官庁を併せた区域を皇城と称します。故宮は、南京から北京に遷都した明の成祖永楽帝が、1420年(永楽18年)に元の宮城跡に竣工したもので、明末に大破壊をこうむったあと、清がほとんどその規模を受けついで復興し今日に至っています
(引用元⇩)
全体図と説明は中国語と英語のみ
四角と言うよりは長方形ですね
この時点では「大した事はない」と完全に舐めていました
先程の午門を進むと橋があります
この先に見えるのが「太和門(たいわもん)」です
剥がれかけている柱
当時のままにしておく為、わざと修復せずにいるらしい
天井も豪華でした
分かりやすい全体図
地図を見てもらうと太和門の奥に「太和殿(たいわでん)」があります
太和殿へ向かいます
太和殿とは、皇帝の即位・大婚・皇后冊立・遠征出征などの儀礼に用いられた。また皇帝が太和殿で群臣の祝賀を受ける朝会も行われた。また大臣の謁見や、時には群臣との設宴が開催されることもあった。これらの儀礼が行われていないとき、太和殿は無人であった。
Wikipediaより
この事から太和殿は政治の中心だったと言えます
観光客が沢山いますが、ガイドさん的には空いているそうです
中を覗くと皇帝が座った玉座が見えます
玉座上部の「建極??(右読み)」と書かれています
読めませんよ
清朝時代の皇帝直筆だそうです
中華圏最後の皇帝「愛新覚羅 溥儀」も、わずか3歳でこの太和殿で即位の儀を行ったとされます
しかし、その3年後の1911年、溥儀は6歳の時に退位します
295年続いた清王朝は滅亡しました
このラストエンペラー「溥儀」のその後はご存知でしょうか
1917年、「張勲復辟(クーデター?)」により再び復位する
しかし、これまた僅かに12日で退位
紫禁城に住むことは許されていたが、北京政変で追い出される
天津の日本租界で庇護される
その後大日本帝国陸軍の関東軍が満州国を設立
1932年、日本に庇護されていた溥儀が満州国の執政に就任
2年後には満州国皇帝となる
この事から、ラストエンペラーの愛新覚羅溥儀は我々、日本と親密な人物だったと言えるでしょう
日本史好きのわたしにとって溥儀はラストエンペラーと言うより、満州国皇帝のイメージが強いです
さらに、1945年に日本軍が中国へ降伏宣言したのが、この太和殿だそうです
太和殿を超えると見えてくるのが手前から
「中和殿(ちゅうわでん)」「保和殿(ほわ)」
中和殿は太和殿で式典が行われる前に休憩する場所
休憩場所にも関わらず立派な玉座が見えます
保和殿は明代では更衣室だったそうです
着替えるだけなのに豪華すぎる
もちろん、中には玉座もありました
ところで、黒い釜みたいなのがいくつか置いてあるのが見えますか?
これを見たとき、数々の日本のお城を巡ってきたわたしは違和感を覚えました
こんな釜、日本の城には置いていませんからね
釜は全て建物の側に置いてありました
アップにしたのがこちら⇩
結構、大きめな釜です
わたしは直感で
「北京は寒いため、キャンプファイヤー的に火を炊いているのでは?」
と思いました
しかし、わたしの直感は的ハズレでしたよ
この釜には水が貯められていて、万が一の火災のときは防火水槽として機能したようです
ひとつトリビアを身につけ、先へ進みます
見学より寒さの方が勝り「暖まりたい 」心の底からそう思います
そんな城内を進む中
ひとつだけ、気になる事がありました
先程の画像です
遠くに建造物が見えます⇩
我々の「まさか、あそこまでいかないよね?」
の言葉に反応したガイドさん
「キョウハ、あそこまでイキマスヨー!」
マジっすか…
もはや、無事に辿り着くのが目標となった
こちらは「乾清宮」
ここからはプライベートルームになる
そうは言われても建物の違いがわかりません
皇帝の寝室に使われていたり、大臣との謁見を受けたり執務の場所だった
ここにも玉座があります
玉座のバーゲンセールや!
両側には大きな鏡が置かれていました
身だしなみをチェックしていたのでしょう
入城してからまっすぐ進んでいましたが、この辺りで左へそれます
紫禁城の左右は比較的小さめな建物が並びます
西側の西六宮区です
この中の一つ「儲秀宮」が西太后が過ごした建物だと言われています
中をみるとお宝がありました
奥にある白い船は、なんと象牙でできているらしい
そして西太后の寝室
やっている事はノゾキです(軽犯罪法違反)
最後に紫禁城北側の「御花園区」を通過
不思議な形の岩が沢山ある
これは恐らく、杉の仲間だと思う
「御花園」と言うだけあって春や夏は綺麗な花が咲くのだろうか
ようやく出口となる門を抜けて紫禁城から脱出できました
あんなに小さかった山の上の建物もすぐそこに見える
これから向かいまっせ
それにしても紫禁城、見所が多すぎです
もう一度、全体図を見てみてみると、我々が歩いてきたルートはこんな感じでした
3分の1しか見学していませんね
この他にも約180万点の文物所蔵しています
入口の午門から出口の神武門までは約1キロ
現在の故宮博物院の建物の数は980棟、部屋数は8700室もあるそうです
もはや町ですな
夜はライトアップも見れます
寒さが気にならなければ素敵な夜を過ごせるでしょう
景山公園(けいざんこうえん)
景山公園は紫禁城の直線上に造られた人工の山、及びそれを中心にした公園
人工の山は紫禁城に殺気が入るのを防ぐ風水的な意味も持つ
入園料は2元
公園も有料なのね
疲れ切った体に鞭を打ち進みます
赤い服の子はまだまだ元気いっぱい
さすが、わが息子
登ってみると意外と低い
すぐに頂上が見えてきた
山頂からの景色がこちら↓
登った頃には夕方で、はっきり見えないよ
明るければこんな感じで見える↓
明るくても先が霞んで見えますな
反対側の北側を見てみると、遠~く先の方に門が見えますね
いったいどこまで続くのだろうか
天安門広場から紫禁城はここまでです
スケールの大きさに感動を通り越し震えました(寒さ?)
舞台は次の場所へ変わります
お付き合いありがとうございました