神出鬼没、まっさんです。
私は歴史を感じるのが好きなので、お城をはじめ、神社仏閣、城下町や宿場町など、定期的に訪れていました。
しかし、コロナのおかげで、観光も過去の物となりつつあります。
昔のような自由に好きな場所へ行ける時代が来るのでしょうか。
そんな歴史巡り好きのわたしですが、住んでいる所が、実は…
旧宿場町です。
皆さんは昔の町並みと言ったらどんなイメージですか?
「日本家屋が建ち並び、お土産屋さんやお食事処が賑わっている。」
例えばこんな感じでしょうか⬇
【奈良井宿】
【岩村城下町】
綺麗で風情のある昔の町並みです。
しかし、これらは「お金をかけて持続、保存している」
そして観光地化しています。
残念ながらわたしが住んでいるのは、「お金もなく、廃れている」
古臭い風習だけが残る町です。
宿場町アピールをはじめたのも、ここ数年の話です。
そんな旧●海道の宿場町に、
住みたくて住んでいるのではなく、たまたま安かったので、住んでしまっている状態です。
「テレワークになったので田舎に引っ越したい」
「古民家をリノベーションしてお店をやりたい」
などと考えているア・ナ・タ。
田舎には、人が離れて過疎化していく理由があると思います。
不便なのはもちろんですが、近所付き合いも理由の一つだと思います。
それを受け入れる覚悟があるのならば、考えても良いのではないでしょうか。
宿場町に住むと、どんな感じか?お話していきます。
プライドが高い
宿場町時代は地域の中心部だったのかもしれません。
しかし、現在は近隣の中でも特に世帯数が少ない状況です。
とにかく、若者は出ていき、新しい人が入ってきません。
この状態でも他の地域を見下しているように感じます。
分譲地で、人が沢山いる所に対して、
「あんなところ、昔は田んぼだったぞ!」など、 虚しい強がりをしています。
有名な観光地ならまだしも、廃れた宿場町ですよ?
さらに同じ、宿場町内であっても旧街道のメイン通りを「表」と呼び、一本外れていると「裏」です。
私のうちは外れているので、裏の人間と言う事です。
自治会活動
宿場町に限らず、全国各地に自治会・町内会は存在していると思います。
若者が少ないと、必然的に高齢者がメインの自治会活動になります。
こんな中ではアラフォーのわたしなんて、ピチピチの若者扱いです。
活動日数も多く、肉体的にも大変な役員をやらされます。
平日は月1〜2回の会合、休みの日はイベント開催です。
今年はたまたまコロナウイルスでイベントの中止が相次ぎましたが、通常であれば最低でも月1日以上、休みの日が潰れます。
頑張っても頑張らなくても、年間報酬は3000円前後。
若い人達がこの様なボランティアを好んでやるとは思えません。
若い人達が離れていく自治会って存在意義があるのでしょうか?
さらに若者は若者で、消防団やお祭り青年で自由な時間は削られます。
これらは、何故か男だけ。
自治会費が高い?
景観を保存している訳ではないのですが、自治会費が割高に感じます。
自治会、組費を合わせて年間32000円
これが自動車重量税と同じ頃に請求されるので大変です。
分割払いもできますが、集金する班長も払う方も面倒なので、ほとんどの人が一括払いです。
近隣に比べると高いのですが、全国の相場はおいくらくらいでしょうか?
お葬式が大変だ
地区内に高齢者が多いと、仕方のない事ですが、お葬式が多くなります。
現在の家に住むまで、親族以外のお葬式に出席した事はありませんでした。
参列だけならまだしも、同じ班(組)の方が亡くなると大変です。
お通夜の受付から、お葬式の交通整理や、火葬場でお手伝いしなければなりません。
運悪く班長だった場合はさらに大変です。
まず、死亡診断書を家族から預り、平日に市役所へ提出します。
市役所で火葬許可証を受け取り葬儀の当日まで保管します。
お通夜での役割を考え、振り分けます。
香典返しも管理し、足りない様なら、葬儀屋さんに追加してもらいます。
お通夜が終わったら葬儀当日の打ち合わせをして、この日は終わります。
葬儀当日の朝は二手に別れ、自宅から出棺まで付き添うグループと、火葬場へ前乗りして、飲食の準備をするグループです。
この時も班長は親族からお金を預り、食事やオツマミやお酒の管理をします。
無事火葬が終り、葬儀場に戻り、これにて解散と思いきや「三日目」と言う物が始まりました。
これは、亡くなられてから三日目に行われる法事で開蓮忌(かいれんき)というそうです。この辺りの仏教特有の法要なのかもしれません。
私の実家は神道なので詳しくは分かりません。
「三日目」が終わる頃には、外はスッカリ夕方です。
さらにこの後、親族から食事の接待を受けて、ようやく終わります。
とにかく疲れます!
家に帰る頃にはグッタリ。
最近は「家族葬なのでお手伝いはいらないです。」と言う家庭が多いです。
失礼ですが、内心「ヨッシャー!」と思ってしまいます。
やはり昔からこの地に住んでいる人ほど、盛大な葬儀の印象です。
他には、亡くなった方の住んでいる班の、両隣の班はお通夜に駆け付けるのが決まりです。
旧店名で呼ぶ
元々宿場町なので、通り沿いのお家はほとんどがお店でした。
現在はお店として営業はしていませんが、看板だけそのままのお家も多いです。
例えば、「鈴木さん」と言う方の訃報が届いたとします。
近所の人に「この鈴木さんってどこの方?」と聞くと、
「あ~、あそこのお茶屋さんの向かい側の服屋さんの横の●●店の人」
…??
どこがお茶屋か分からない!
どこもお店として営業していない!
しかし、地図を見てみると、名字ではなくしっかりと店名が載っていた。
このこだわりは何だろう…
さらに謎なのが、「つたやさん」と呼ばれるお家。
つたやって何だ?蔦屋?TSUTAYA?
見た目は普通の家すぎてサッパリ分からない。
深く追求する気もなく、現在も謎のままです。
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土地が細長い
宿場町の特徴として、住宅の土地が細長い特徴があります。
これは手前側を店舗、奥を住居として使用していたためです。
言わいる「うなぎの寝床」とよばれます。
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本当にこんな感じです。
お店部分が残っているお家もあります。
土地活用が難しいです。
最後に
以上です。「宿場町に住む」と言うか、「住んでいる」お話でした。
宿場町と言うより田舎のお話になってしまいました。
とにかくこんな環境で住みたがる若者は極小だと思います。
都会から移住してきた人達も、地域に馴染めず出て行く事も多いでしょう。
空き家は沢山あります!
ぜひ、クセが強い地方へお越しください!
すぐに噂が広がり、期待の星として注目される事でしょう。