神出鬼没、まっさんです。
上の子は、現在5歳です。
後妻ではありません。
5歳です。
今思うと、赤ん坊の頃から、あっちこっちに連れ回していました。
コロナ禍になってからは、あまり行けませんけど。
生後3ヶ月で真冬の軽井沢へ旅行に行ったり、
3歳の時は私と二人旅で島根へ行きました。
海外も2カ国連れて行っていますので、きっとグローバルな人間に育ってくれるはずです?
ところで、子供や奥さんに最も不人気な観光スポットってご存知ですか?
それは「お城」です。
歴女以外の女子や、小さな子供には苦痛でしかありません。
このため、お城に行くときは基本的に一人で行くようにしていましたが、遠方で家族で出掛けると、ついでにお城に寄りたくなります。
いわゆる発作ですね。
4年ほど前の話になりますが、長野県中部へ訪れました。
この時も発作に襲われました。
上田市
発作に襲われて、まず向かったのが「上田市」です。
上田市は長野県 の東部( 東信地方 )にある市です。
東信地方および 上田地域 の中心都市で、長野県内では 長野市 、 松本市 に次ぐ3番目の規模の都市です。
ところで「上田」と言われ何が思い浮かびますか?
わたしは「晋也」です。
ここで「真田」と答えた方は、中々ですね。
実際にこの上田市、千曲川右岸の旧市街は、戦国時代に真田氏が築いた上田城を中心とする城下町です。
現在は上田市と合併していますが「真田町」と言う地区もありました。
真田町には「真田氏歴史館」もあります。
真田好きにはたまらない。
歴史館はすでに行った事があるので、今回は「上田城」へ訪れました。
上田城
真田信繁(幸村)の父、真田昌幸によって築城された上田城は第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。
日本百名城 二十七番・日本夜景遺産に認定されています。
上田城には、眞田神社・上田市立博物館などの観光スポットが集まり、
上田城千本桜まつり・上田真田まつり・上田城紅葉まつりなどのイベントが開催されています。
城内マップです。
関ヶ原の合戦後破却された上田城は仙石氏が城主の時代に再建され、7基の櫓(やぐら)と2基の櫓門が建てられました。
明治維新後、西櫓1基を残しそのほかの櫓・櫓門は取り払われました。城外に移築されていた2基の櫓は後に買い戻され、昭和18年(1943)から24年にかけて現在の南櫓・北櫓として再移築されました。
平成6年(1994)には東虎口櫓門が復元されました。
その櫓門がこちらです⬇
この櫓門を抜けると本丸跡へ。
本丸跡に現在は眞田神社が鎮座しています。
前年に大河ドラマ「真田丸」が放映されていたので、観光客も多く、混雑していました。
しかし、まだ発作が収まりません。
次へ向かいます。
松本市
続いて訪れたのが「松本市」です。
松本市は長野県中信地方に位置する市である。
中核市、国際会議観光都市に指定されています。
松本と言えば当然「松本城」です。
日本で姫路城と並ぶ人気のあるお城です。
城下町には長屋造りのお店が続く縄手通りがあります。
訪れたのが1月2日で気温も低い。
人はまばらです。
松本城
松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城になります。
全体図です。
松本城は平城です。
現代の建物に囲まれ、中々天守の姿が見えませんでした。
敷地内に入り、ようやく姿を拝む事ができました。
松本城天守群は、大天守(だいてんしゅ)・乾小天守(いぬいこてんしゅ)・渡櫓(わたりやぐら)・辰巳附櫓(たつみつけやぐら)・月見櫓(つきみやぐら)の五棟で形成されています。
大天守と乾小天守を渡櫓によって連結し、辰巳附櫓と月見櫓が複合された連結複合式の天守です。
どの角度から撮影しても美しい。
しかし雪こそ降っていませんが、真冬です。
城内は当然ながら暖房がなく、氷点下です。寒すぎて撮影を忘れてました。
城としては姫路城に劣るかもしれないですが、天守閣だけなら松本城の方が上かも。
左側の月見櫓は江戸時代に増築されたそうです。
3代将軍、徳川家光が長野の善光寺に参拝する途中で、松本に立ち寄るという内意を受けたため、当時の藩主、松平直政が建てたのですが、結局家光の善光寺参拝は中止になり、将軍に使われる事がないまま現代に至ります。
子供を肩車して比較して見ましたが、天守の大きさが分かってもらえたでしょうか?
強いて言うならば、
真冬は寒い
当たり前の事ですが、長野県はただでさえ寒く、さらに歴史的建造物に冷暖房が備わっている訳がありません。
春や秋に訪れる事をオススメいたします。
松本城を見た事で、ようやく発作が収まったので、これにて帰宅致しました。
(自己満足野郎)