ブログ名、捨てました

興味ある事が多すぎて書きたいことが定まらないので、ブログ名は捨てました

偉人・天才・発明家

明治、大正、昭和、平成、令和と時代の流れと共に、我々の生活も色々と便利になっていきます。

スマホなんて、20年前は考えられませんでした。

他にも普段、我々が使っている便利な道具、機械、食品などは、最初から存在していたわけではありません。

必ず「誰か」が発明したり、開発をしています。

 

その「誰か」に注目してみます。

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トーマス・エジソン 

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学校の教科書にも載っている、アメリカ合衆国の発明家、起業家。

スポンサーのJPモルガン、秘書のサミュエル・インサル、そしてメロン財閥と、アメリカの電力系統を寡占した。

エジソンと言えば白熱電球、蓄音機、映画を見る機械キネトスコープなど。

しかし実際には白熱電球を発明したのは「ジョゼフ・スワン」と言う人物で、エジソンは白熱電球を大量生産で商用化に成功した。

さらに電力の送電システムを発明し、電力会社を起業、夜でも明るく過ごせるようになった。

当時、明かりは「火」をおこすのが当たり前だったためエジソンの発明は革命と言えるでしょう。

エジソンは発明家と言うより、発明品を商用化するのに長けていたとも言われます。

 

そんなエジソンですが自身の電力会社の従業員と揉める事になります。

 次は、その揉めた相手です。

 

 

ニコラ・テスラ 

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現クロアチア出身。

19世紀中期から20世紀中期の電気技師、発明家である。 グラーツ工科大学で学んだあと1881年にブダペストの電信(電話)会社に入社し技師として勤務。 

小さな頃から天才的で青年時代に交流電源の発電装置を発明した。

1884年に交流電流を広めるために渡米。

そこで運良く、当時すでに有名だったエジソンの会社に入社することになります。

しかし、エジソンは自分の開発した直流電流が正しいと思っていたため、テスラとは確執ができていきます。

テスラは退社し、職を転々としながら様々な協力者を経て、交流電流を広めます。

対するエジソンは「交流は危険」と宣伝活動をし数年に渡り「電流戦争」として続きました。

現在、我々は電池の製品は直流、家庭の電源などは交流を使っています。

発電所から送電するには交流の方が有用で安全だと言う事です。

結論から言うと「電流戦争」はテスラの勝利でした。

 

そんなテスラでしたが晩年はオカルト研究に没頭します。 

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(テスラコイル)

そのためか、マッドサイエンティストとして敬遠されてしまいます。

テスラの死後、FBIが研究資料を持ち去ったとも言われています。

 

実は、エジソンも晩年は死者と交信などオカルト研究に没頭していたと言われています。

電気と、オカルトは 切っても切れない関係なのでしょうか?

 

 

 

佐々木正

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日本の工学博士で家電メーカーSHARPの元副社長。

「ロケット・ササキ」の異名を持つ。

この方は当時、机ほどの大きさだった電卓を超小型に成功した方です。 

 

何よりエピソードのスケールが凄いのです。

 

1979年、ある人物がSHARPに自動翻訳機を売り込んできた。

佐々木はその人物に資本金1億を与えた。

1億円を手にし、 それを元手にアメリカでソフトウェア開発会社を起業。

後にその会社は「ソフトバンク」となった。

そう、その人物こそが孫正義 だった。

 

1980年代中盤、事業に立ち悩んでいた人物が佐々木に相談へくる。

佐々木は「ネットワーク基盤の携帯型IT機器の到来が来る」と進言。

その人物は数十年後「iphone」を発表。

そう、相談に来たのはスティーブ・ジョブスだった。 

 

そんな佐々木氏は韓国のサムスンと関わった結果、半導体の技術と技術者が韓国へ流れてしまいます。

その事がキッカケで「売国奴」などと心無い事を言われました。

 

SHARP副社長以外にも様々な肩書があった佐々木さんは2018年の1月に亡くなりました。

年齢は驚異の102歳。

 

 

 

中松義郎

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日本の発明家、実業家、政治活動家である。

「ドクター中松創研」代表取締役、日本文化振興会第10代会長、現副総裁、国際発明協会および世界天才会議の主宰者。

フロッピーディスクやジャンピングシューズ、灯油ポンプなどの発明でしられる。

今では見なくなったフロッピーディスクですが一昔前まではパソコンのデータ記録の主流でした。

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そんなフロッピーディスクですが中松氏自身が発明したと主張しているようです。

実際の発売元は「IBM」。

 IBMが日本でのフロッピーディスク販売に関連して中松の持つ特許の「非独占的特許使用契約」を結んだのは事実であるが、契約は1979年(昭和54年)2月である。

両者の契約が行われたのがフロッピーディスクが既に商品化された何年も後である以上、中松の特許がフロッピーディスクの商品開発に直接関与していないのは確実だそうです。

 

奇想天外な発明も多いドクター中松。

現在90歳を過ぎましたが、ご健在です。

 

 

 

安藤百福

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日清食品 ( 株 )創業者。 インスタントラーメン 「 チキンラーメン 」、 カップ麺 「 カップヌードル 」の開発者として知られる。

日本統治時代の台湾生まれ。

生まれた時は日本国籍だったが台湾本島人だった為、戦後は台湾国籍となる。

その後、日本国籍を取得し直した。

 

「お湯を注ぐだけで食べれるラーメン」は、今でこそ当たり前に売られていますが、この方がいなければ存在していなかったかもしれませんね。

 

ところで、チキンラーメン誕生のキッカケですが…

自宅でラーメン作りに没頭していた百福。

庭で飼っていたニワトリを調理中に暴れた。

それ見た息子がトラウマとなりはニワトリを口にしなくなった。

「栄養のある鳥を息子に何とか食べさせたい」

そう思い鶏ガラスープで作ったインスタントラーメンが完成した。

このラーメンを「チキンラーメン」として発売した。

チキンラーメンは栄養食として開発されたのです。

その後、偽物や類似商品が出回り始めた。

しかも、粗悪品が多かった為、チキンラーメンは体に悪いとイメージがついてしまったそうです。

チキンラーメン自体は、体に悪い物ではないですが、塩分が摂り過ぎになる為、食べすぎには注意が必要です。

 

 

日清のカップラーメンも当初は全然売れなかったそうです。

1972年2月19日、連合赤軍が軽井沢の「あさま山荘」に人質をとって立てこもった。

山荘を包囲する警察官の非常用食料として「カップヌードル」が配られ、それを食べる様子がテレビ中継でくりかえし映し出された。

その後、「カップヌードル」は火がついたように売れ、生産が追いつかなくった。

あさま山荘事件がきっかけだったんですね。 

 

 

 

 

最後に 

電球がない時代、夜は暗いのが当たり前でした。

そんな世界に明かりを灯した電気の発明は革命でした。

エジソンやテスラがいなければ現在も夜は蝋燭や松明などの火を使う生活だったかもしれません。

さらに、電気が普及したおかげで冷蔵庫、洗濯機などの家電が開発され普及していき生活も快適になって行くのです。

 

わたしは、チキンラーメンが大好きなので定期的に食べます。

電卓も仕事で使います。

フロッピーディスクも少し前まで仕事で使っていました。

この様な生活を送れるのも彼らの様な偉人達のおかげなのです。

 

 

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